左遷

 映画『沈まぬ太陽』を観た。あんなにされても会社を辞めないって不思議。息子が「お父さんって左遷されたんでしょう。左遷って悪いことした人がされるんでしょう」と言って母親に叱られるが、私には左遷っていうと、悪い上司に逆らったよい人がされるものというイメージが強い。菅原道真のイメージだな。

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岩波文庫小島政二郎『眼中の人』は、小島の、菊池寛との関係を主に描いた実名私小説であるが、その解説で大河内昭爾は「「『西鶴には結構なければ小説家にあらず』馬琴はそう言ったそうだ。この言葉は、西鶴に対する馬琴の不明を暴露しているかも知れない。しかし、この不明ゆえに馬琴は自信を失わずに一生小説を続けていられたのだ」と『眼中の人』にいう」と書いている。しかし『眼中の人』の中にそんな文章はないのである。この文章にかなり似たものは、同じ小島の『芥川龍之介』にある(講談社文芸文庫、173−4p)。恐らく大河内はこの言葉を暗記するほどに銘記していて間違えたのだろうが、解説だから校閲の眼が届かなかったものか。
 ところで私は、馬琴が正しいと思う。不明だとは思わない。しかし小島に、西鶴をありがたがるところが近代日本文学のダメさなのだというまでの明を求めるのは無理であろう。
 だが、馬琴の専門家に訊いても、この文言は見当たらないそうで、小島の記憶違いであろう。

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1948年2月『小説と読物』に里見とんの小説「意義」を発見。

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http://d.hatena.ne.jp/kshinshin/20100522/1274462189
岸川さんがんばっているな、と思うかたわら、「大学」ってそんな立派なものじゃないですよと思う。
 非常勤講師なんて月俸の提示もなしに就労、振り込み日に初めて分かるとか、最近では「専任講師」と見せかけて雇っておいて辞令交付の日に「任期つき」だとか、果ては「特任講師」だと告げるとか、大学設立のために人員だけ集めておいて、体制が整ったら首切りとか、それこそ小説に書いた、女性教員の「理事長の夜のお相手」なんてこともある。
 表ざたにならないのは、それを告発すると大学人生命を失うから(私みたいに)。まあいろいろなってはいるけどね。