橘家圓喬の辞世と京須偕充

京須偕充の『芝居と寄席と』の最後に、名人といわれた橘家(三遊亭)圓喬の話が出てくる。圓喬の最後について、『文藝俱楽部』の記事を引用している。そこに、苦しい息の下で圓喬が書いた辞世の句が出てくる。「筆持って月と話すや冬の宵」というのだが、京須はこれについて、

「それにしても辞世は凡句である。圓喬の瀕死の肉体は玄冶店の病間にあり、魂はすでに虚空にあって月と対話をしていた、と解釈したいところだが、とてもそうはいかない。高尚を衒った圓喬の句力はこんなものであったのか、それとも弟子が書き誤まったのか、と思うほどである。が、その凡庸がかえってあわれを誘う」

 いや、そんなにぼろくそに言うほどのものか。別に俳人の句ではない、一落語家の辞世にそうまでしつこく言わなくてもいいだろうに、京須という人は自分が俳句が分かるとでも言いたいのか、といくらか憮然とした気持ちにさせられた。

小谷野敦