民俗学嫌い

 宮本常一がいつの間にかけっこう文庫化されていて人気があるらしいのを知った。佐野眞一の『旅する巨人』の影響もあるのだろう。
 宮本は、1980年代に再評価され始めたという。私が宮本の名を知ったのは、確か1979年に伊丹十三朝日新聞で「私の日本地図」全15巻を勧めた時のことだが、既に67年から著作集の刊行は始まっており、当時で25巻くらいあったのか。それのほかに『私の日本地図』があるわけだから、ずいぶんたくさん書く人だなあ、と思ったものだ。著作集はその後も『私の日本地図』も入れて、今では50巻にもなっている。
 それからほどなく『忘れられた日本人』『家郷の訓』が岩波文庫に入り、のちそれらは読んだ。「土佐源氏」などはむろん面白かったが、これは宮本作のポルノが原典で、実話かどうかは疑わしい。
 『旅する巨人』は大宅壮一ノンフィクション賞受賞作だが、実はあまり面白くない。当時から、佐野の代表作はこれではないだろうと言われていた。
 宮本常一自身も、そんなにすごい人かどうか、私には疑問である。
 といっても、私は昔から、「民俗学」が苦手である。若いころから、柳田とか折口とか南方とか読んでもいまひとつピンと来ず、しかし周囲の人々が面白い面白いと言うから、一所懸命勉強したのだが、学問だか創作だか分からないし、20年たった今では、もう「民俗学嫌い」の範疇に入るだろう。
 私が初めて学会発表をした1989年、平川先生が特別講演で、柳田国男と祭り、というのをやったのだが、その後、小雨が降り出したなか、懇親会場へ向かう途次、青山学院短大の加納さんという女性が、平川先生は都会人だから、民間の祭りというのを対象として見ている、私は福岡出身なので、対象とされる側で、と珍しくからんでいて、平川先生は、いきなり笑い出して「なんで僕はこんな攻撃されなきゃならないんだ」と言ったものだ。
 文化人類学とかポスコロなんかでもしばしば問題になるが、研究対象にされる側にとっては、不快なことというのがある。民俗学の場合、日本国内であるためあまり表面化しないが、宮本にも「取材される側の迷惑」という言がある。
 別に私は取材されたわけではないのだが、私は農村出身の両親を持ち、民族学的には、対象とされる側にいる、と感じる。
 柳田などは、典型的な、いい家の出で官僚出身の、中産階級エリートであるから、大岡昇平なんかは嫌っていた。南方もまあ、英国へ留学するくらいだから地主である。鶴見和子とか渋沢敬三というのは、もう名家の出身だし、大月隆寛だって、父の代から早稲田である。
 宮本は農家の出身だが、宿でもあって裕福だったはずだ。
 佐々木喜善などは、まさに「取材される側」にいた人間で、佐々木はむしろそこから這い上がろうとした人間である。ちゃんと小説家として立ちたかったのだが、それもならず、何とか地方名士にはなった。
 柳田とかラフカディオ・ハーンとか宮本とか読んでいると、やはり庶民を美化しすぎなのである。特にひどいのが柳田の『不幸なる藝術』であろう。庶民出身の人間にとっては、庶民というのは無知で愚鈍で、因習にとらわれていて残酷な連中なのだが、ブルジョワ出身者には、それが興味深く、研究の対象になるということである。