山田詠美の「選評」をめぐって

 第169回芥川賞の選評を見ていて、山田詠美・選考委員の「選評」に、気になる一節を見つけた。
「このところ何度となく、「芥川賞選考会は、他のジャンルから出て来た候補者には授賞しないと決めたようだ」という当て推量めいた文言を目にしたのだが…いいえ、そんなこと全然ありません! 元来、この賞は、「若者」「よそ者」「バカ者」にたいそう優しい。でも、それだって、作品の出来次第……っていうか、はあ? いったい誰に向かってモノ言ってんの?って感じ」。
 この「誰に向かって」は、あとのほうで、受賞作『ハンチバック』に関して、「障害者に受賞させて話題作りする芥川賞…みたいな文言をあちこちで目にしたが……はあ? いったい誰に向か…(以下略)」
 として再度出てくる。私の勘違いかもしれないが、この「誰に向かって」は「天下の芥川賞選考委員様に向かって」と聞こえて、そうだとすると傲慢で不快である。私も最近、千葉雅也や鈴木涼美のように他ジャンルで十分成功している人や、乗代雄介のようにすでに三つも文学賞をとり人気もある作家にはあげないんだろうということを言っているが、言っちゃいけなかったですか?
 このところ、芥川賞の選評が全体に優等生的になってきて、すべての候補作をまんべんなく褒めるようなものもある中、山田の選評はそれとは一線を画していて、それはご意見番としていいことだと思っていた。しかし時に納得できない時もあって、最近でいえば遠野遥に受賞させたときの「手練れに見えない手練れになるだろう」というのは疑問だった。今回、他の選考委員がやたらと乗代の候補作を褒める中、「この作品の良さがどうしても解らないのである」と書いていて、私も同感は同感なのだが、もっと具体的に明らかに欠陥があるのだからそれを書くべきだったと思う(私はすでにこの作品の欠陥はツイッターで言ったが、倉本さおりさんとの対談で改めて言うことにする)。
 「誰に向かって」って、それは選考委員は小説書きのプロではあろうが、評価については松浦寿輝を除いてはプロではなかろう。それなら私のほうがプロであるかもしれない。いずれにせよ「誰に向かってモノ言ってんの?」が傲慢な暴言でなく、何か私の読み間違いで別の意味なのだと考えたい気持ちでいることはいる。