音楽には物語がある(28)歌謡映画(1)中央公論2021年4月号

 落語家の柳家喬太郎に「歌う井戸の茶碗」というネタがある。古典の人情落語「井戸の茶碗」を演じながら、自作、替え歌などの歌をわりと唐突に歌うもので、喬太郎自身、昔よくあった歌が入る映画をまねていると言い、「歌ふ狸御殿」をあげていた。登場人物が劇のさなかに歌いだすならミュージカル映画だろうが、「歌謡映画」という名称もあって、どう違うかというと曖昧なのだが、ヒット曲があって、それと同じ題名の映画が作られ、歌手が主演して作中でヒット曲を歌いだす、というのが基本的な歌謡映画の定義だろう。

 岡田喜一郎の『昭和歌謡映画館』(中公新書ラクレ)は、戦後の歌謡映画の代表的なものが選ばれている(『唄えば天国ニッポン歌謡映画デラックス』天の巻・地の巻は大冊だが、歌謡映画の範囲を広げすぎて中身が茫漠としたものになっている)。第一号が『そよかぜ』で、挿入歌「リンゴの歌」を大ヒットさせた映画だ。『喜びも悲しみも幾年月』もあるが、これは歌手(若山彰)は登場していない。『銀座カンカン娘』(高峰秀子)などは、母が盛んに歌っていたので知っている。ここに載っていないものとしては、木下恵介の『わが恋せし乙女』(一九四六)がある。井川邦子がヒロインを演じ、作中で主題歌も歌っているから歌謡映画だが、木下忠司の何だか奇妙な哀感のある歌で、筋がまた妙に悲しくて、先ごろ、観ながら泣いてしまったものだ。

 美空ひばりも多いが、江利チエミとの共演ものなどは、二人とも若くして死んでいるため、もの悲しさを今では感じる。石原裕次郎もそれに近い。

 六〇年代には、「ご三家」橋幸夫舟木一夫西郷輝彦の歌謡映画が作られ、藤井淑禎の『御三家歌謡映画の黄金時代』(平凡社新書)というのがあるが、私は生まれてはいたが子供で観ていなかった世代になり、改めて観てみて、衝撃だったのは、橋幸夫もそうだが舟木一夫のような徳川時代のやさ男のような弱そうな歌手がスターだったということが一つである。私が芸能人に物心ついた七〇年代は、歌手なら西城秀樹、あるいは「仮面ライダー」の藤岡弘(現、藤岡弘、)のような強そうな男で、郷ひろみといえ

ども舟木ほどのやさ男ではなかった。

 第二に、和泉雅子吉永小百合と肩を並べるほどの美人スターだったということを知って衝撃を受けた。私が知っている和泉は、脇役で出てくる、美人だがちょっと三枚目のおばさん女優でしかなかったからだ。『非行少女』でスターになり、舟木との共演歌謡映画で全盛を誇った和泉は、今でいえば常盤貴子のようなもので、それが急に方向転換したように見えるのは、日活が一般映画製作をやめてロマンポルノ専門の映画会社になったからだが、他の映画会社のものに出なかったのはなぜか、分からない。

 舟木と和泉が共演した歌謡映画に『北国の街』(一九六五)があり、藤井もとりあげているが、これは妙に暗い気分にさせられる映画だ。新潟の小さな町の高校生の舟木と和泉が知り合って恋におちるが、舟木は職人の父親が倒れたため家業を継ぐことになり、和泉は大学進学を目ざすが、難病のためあと六年しか生きられず、そのことを舟木に言えないまま、大学進学のため一人で汽車に乗って東京へ向かう、というのが結末で、これでは続編を作らなければならないだろう。

 舟木・和泉共演では「哀愁の夜」も観たが、これは弁護士志望の舟木と社長令嬢の和泉が、企業と裏社会の闇に飛び込んでいくサスペンス映画で、三宅島でのロケもあり、最後には和泉が舟木に、自分を利用したのねと迫ったり、妙にまとまりがない。

(この項続く)