音楽には物語がある(54)高田みづえの幸運 「中央公論」六月号

 私の若いころ、NHKの「のど自慢」を観ていたら、ゲストが新沼謙治高田みづえだった。素人の歌が終わって、司会のアナウンサーがゲストに感想を求めた。新沼は、「今もね、イクエちゃんと話してたんだけどね」と口を開いた。高田みづえは憤然として、「みづえ!」と言って後ろから新沼を叩いた。そういえば榊原郁恵と高田みづえは幾分混同されるかな、とは思わなかった。

 鹿児島出身の高田みづえは、同郷の大関若嶋津と結婚して引退した。若嶋津もその後引退して親方になったが、友人の琴風の尾車親方との連携がうまかったのと、横綱の二代目若乃花が協会を去り、隆の里も死んでしまい、松ヶ根親方から一門の総帥である二所ノ関親方になった。アイドル歌手だった高田みづえが相撲部屋のおかみさんをやるのは大変だっただろうが、若嶋津がマジメだったのか、高田みづえが努力家だったのか、円満に定年を迎え、二所ノ関親方稀勢の里に譲って再雇用で協会の参与になっている。六年前に、サウナから自転車で帰る途中に気を失って転倒するという事件があったが、命はとりとめた。

 やはり高田みづえが現役最後のころ、NHKの歌謡番組で自分の歌ではない歌を歌っていて、歌詞を忘れてしまったことがある。うちの母が観ていて、「あらっ、この子、歌詞忘れちゃった」と叫んだので気づいたのだが、後ろに控えていた座長の小林幸子が飛んできて、横に立って歌いだしてことなきを得たが、結果として、小林幸子の「本物のプロ」ぶりを示すことになり、嫌なあと味は残らなかった。

 高田みづえは歌唱力が特に高くもなかった。伊藤咲子香坂みゆきより劣る程度だったし、見た目が特に美人というわけでもなく、華やかでもなく、短髪にしていると、「花しぐれ」の歌詞にある「男の子みたい」に見えることもあった。だが、歌に恵まれた。

 「私はピアノ」は、桑田佳佑の天才的音楽性が発揮された名曲で、私は世間で称賛される「いとしのエリー」に男性上位的な思想が感じられるのに比べてもずっといいと思うのだが、これは元は原由子が歌ったサザンオールスターズの曲で、すぐに高田みづえがカバーして大ヒットになったものだが、結局高田の歌のように思われている。「男の子みたい」な高田が歌うのに内容的には合っていないはずなのだが、結果的にはヒット。これは一番に「ラリー・カールトン」、二番に「ビリー・ジョエル」と西洋の歌手の名前が入っているが、後者が「ビリジョー」としか聞こえず、しかし調べたらそれが正しい発音だった。

 ほかにも「パープル・シャドウ」や「花しぐれ」の、作詞・松本隆、作曲・都倉俊一の曲が、どう位置付けていいのか分からないが、不思議な良さを持っていて、これは何だろうと首をかしげる。「パープル・シャドウ」なんか、男女の会話が「帰ってくるよ」「いつ?」「いつでもいいさ」と、めちゃくちゃなのだが、それで通っているところが恐ろしい。ほかにも「潮騒のメロディー」のように、外国の歌に日本で歌詞をつけたもの(斎藤仁子作詞)も高田が歌ってヒットしているし、「涙のジルバ」(松宮恭子作詞・曲)もそこそこヒットしたが、桑田佳祐の「そんなヒロシに騙されて」もカバー曲で、これで紅白歌合戦に出ているが、あまりいい曲とは私は思わない。

 『高田みづえの相撲部屋のおかみさん』(毎日新聞社)という本があるが、これは松ヶ根部屋の独立から二年ほどの91年から93年に「毎日新聞」に連載されたエッセイで、私はこれを読んでいて、芸能界では「付き人」、相撲界では「付け人」だということに気づいた。