蟻二郎(本姓・三宅)という英文学者が、平井正穂氏を糾弾するという文章を『新批評』という同人誌に書いたのはその筋ではよく知られている。その文章の中で、大学院生の就職についての改善を蟻がいうと、平井だったか教授が、そんな面倒なことになったら大学側では採用をやめてしまうだろう、と言った。すると蟻が、そういう労働貴族的な考え方がよくないのではないかと言い、教授は困ったような顔をした、という場面がある。
私はこの部分の意味がよく分からなかったのだが、「労働貴族」というのは、組合の幹部でありながら雇用者と結託して贅沢な生活をしているような者を揶揄していう言葉らしい。もっとも大学院生は組合の幹部ではないから、流用だろうし、意味もよく分からない。
しかし大学への就職を希望する博士号取得者が、業績はこれこれ、地方としてはこれこれを望むといった広告を掲げるといったことは今でも行われていないし、公募に出してもその「秘密」は守られることになっている。もちろん秘密にしたい応募者もいるだろうが、実はいちばん秘密にしたいのは大学側ではないのかという気がしないでもない。
(小谷野敦)