大阪の春日井ひとしという方から小冊子『昭和八年の里見とん』が届いた。私の里見伝と久米伝の訂正もある。明治大学文藝科で里見が学生を演劇に連れて行ったり俳優を教室に呼んだりしたのは里見一人のことではなく学科の方針だったという。
 久米伝のほうでは、山本有三の『女の一生』は、山本の検挙で急遽中止されて次の久米の連載「沈丁花」の広告が出たのだという。もっとも次の連載は決まっていて、『女の一生』もあと十回ほどで終わるはずだったのを、続稿がなくなるまで載せ続けたのだろう、という。もっともそうなると、久米は本来の開始より早められたわけだが、別にそのことは書いていない。