川口松太郎の『鏡台前人生』(産経新聞社、1970)は、1969年から70年産経新聞に連載された長編である。ここでは、昭和戦前期における、若宮様と藤間流の舞踊家との恋が描かれている。宮様は、明治維新の時に京都から動かなかった二条宮の貞親とされ、父の大宮が昭和十年代に死んでいる。舞踊家のほうは、藤間流で藤間勘幸、松本幸四郎から幸の字をもらい、京都の志摩流志摩丹後に預けられて、京都の宮様と知り合って恋になり、女児を産み落とす。これは昭和三年に十六歳とあるから、1914年生まれか。
厄介なことに、幸四郎の弟子には確かに勘幸がいる。京都のほうは架空だが、片山派と張り合っているというから、井上八千代になる。京都に残った宮家というのはあるが、この若宮は昭和九年に二十九歳とあり、この年齢に相当するのは華頂博信である。だが年齢はごまかしている可能性が高く、戦時中に天皇の名代として満洲へ行ったという経歴からは、閑院宮純仁かと思われる。
さらに厄介なことに閑院宮と華頂とは戦後ともにスキャンダルを起こしており、二人は義兄弟の関係にある。幸四郎(勘右衛門)の位置もよく分からないし、あるいは吾妻徳穂、藤蔭静樹、藤間藤子、このあたりが関係しているか。川口松太郎の研究者というのはいないのだが、連載当時どこかで話題になったかもしれない。