藤間政弥と吾妻君子

 某文献を見ていて、二代目河原崎権十郎と藤間政弥の間に吾妻君子という、吾妻徳穂の異父姉がいたことを知った。政弥(1887-1957)は十五代市村羽左衛門との間に庶子として吾妻徳穂を生んだとされているが実は大河内輝剛の子だが、それ以前に二代目権十郎との間に君子(吾妻流分家)を生んでいたというわけだ。三代目権十郎の母は不明。
 それで十七代羽左衛門の子が権十郎四代目を継いだのか、とわけが分かった。 
 松本亀松による聞き書き『藤間政弥』(1948)によると、年譜は以下のようになる。なお同書には年譜はなく、松本は、作ったのだが入れられなかったので再版の折にでも入れるとのんきなことを書いている。

藤間政弥

1879(明治12)4月13日 東京市浅草区浅草小島町(東京都台東区浅草小島町2−15)に生れる。本名・山田すず。父は金唐革商人の山田次郎兵衛、母はつね。六つ上の姉がある。
1889(明治22)家が焼ける。
1890(明治23)母死去。
  藤間勘右衛門に踊りを習う。
1894(明治27)11月13日、父死去。父の母である祖母の隠居所の両国に住む。 16歳
1895(  28)姉が五代清元延寿大夫に嫁入り。藤間流名取になる。 17歳
1896(  29)兄の実家の息子へ嫁入り。 
1897(  30)婚家を飛び出しお竜の名で新橋藝妓に出る。 19歳
1901(  34)独立し山末広を建てる。 23歳
?     二代河原崎権十郎(30代)との間に吾妻君子(春世)を産む。
1905(  38)曽根荒助の世話で踊りの師匠になり藤間政弥を名のる。 27歳
1906(  39)歌舞伎座で名披露の会。 28歳
   歌舞伎座社長・大河内輝剛の愛人になる。
1909(明治42)31歳 2月15日、大河内との間に喜久枝(吾妻徳穂)を生む。
  10月9日、大河内死去。
1918(大正7)31歳 三代権十郎が生まれる。
1925(  14)38歳 藤間勘翁死去、
1933(昭和8)55歳 喜久枝が吾妻春枝となる。
1948(昭和23)70歳 引退し藤間雪後となる。
1957(昭和32)死去、79歳
 
 君子については、父が誰か、何年の生まれかも松本著には書いてなく、ただ喜久枝の姉はきみ子といい、目白(日本女子大)を出したが踊りがやりたいというので藤間春世の名で出したが、今は引いて春世の名を弟子に譲り、普通の人になっているとある。