以下に掲げるのは、二年前に一度掲げて削除したものである。これは当時阪大言語文化研究科の院生だった某君から来たもので、渡辺秀樹のさらなる悪業を暴露したものだが、当時その某君から懇願されて削除したもので、その際、某君が博士論文を書くまで待つという約束をした。しかしもう二年たつし、せっかくYMの悪事が暴露されたいい機会なので再掲する。
 二年前、私は秀樹がパワハラ対策委員になっていることを知り、激怒して抗議したが、例によってのらりくらりと対応されたあげく、かつて被害を受けたというなら話を聞くが、メールではダメだ大阪へ来て面談しろと言われ、なぜかと問うと、別人のなりすましかもしれないからだと言うので、それなら委員長の北村さんはよく知っているのだから電話をかけると言ったが頑として聞かなかった。
 あそこのセクハラ対策委員会だのパワハラ対策委員だのというのは、何ら教員を処分するという方向へは持っていかない、被害者を面談で痛めつけてもみ消そうとする機関でしかないのである。

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僕は言文に入学して、一人だけ「親友」といえるような友人ができました。そもそも大阪は僕の地元で小学校や中学校の友人が大勢いるので、言文に入学した当初は「わざわざ大学院で友人なんてつくらなくてもいいや」、そんなふうに思っていました。ところがその「親友」とは境遇はさることながら、思想信条、性格、趣味など至るところで気が合い、彼がアルバイトをしていた塾を紹介してもらってそこで一緒にアルバイトをしたり、修士の1年から博士の2年の前期までのおよそ3年半の間、親交を深めてきました。
ところが博士の2年の後期で彼は言文を辞めてしまいました。
彼と僕は生まれや育ちが「悪い」など、本当に境遇が似ていたのですが、後々になって大きく違ったのが、僕が村上先生の指導を受けていたことと、彼が英語学を専門としていて渡辺秀樹先生を「師匠」としていたことです。
秀樹先生の噂は彼から本当によく聞きました。彼の両親は彼が高校の頃に既に離婚していたのですが、彼の研究に気にくわない点があると、あるいは研究どころか例の「体育会系」のノリで彼の精神性やら性格に気にくわないところがあると、秀樹先生はメールで「これだから片親の育ちはバカだ」などという人格攻撃をおこなうという状況でした。
僕からすれば完全な「アカハラ」だと思ったのですが、それでも3年半のあいだ、彼はひたすら秀樹先生を信じ、すべては自分のために厳しい言葉をかけてくださっているのだ、それに報いなければならないとコツコツと努力しておりました。
彼は英語の能力はずいぶん高く、研究態度も謙虚でした。
けれど博士2年の後期にはいったころ(2004年の夏頃)から、秀樹先生の彼に対する態度が日に日に悪くなり、ささいなことで小言を延々に繰り返したり、突然大声でどなったり、すれ違っても彼を無視したり、また4000字はあろうかというメールでがみがみと研究に対する文句ではなく性格に対する文句を書き連ねたり、彼もだんだんと精神的に参ってきました。アルバイト先の塾で彼とは週に2,3回は顔を合わしていたのですが、その頃彼は「しんどい」と繰り返していました。
別に決定的な事件があったわけではないのですが、2004年の後期の時点で彼は言文を辞めました。
秀樹先生からのメールはすべて保存してあるので「アカハラ」で訴えようと思えばいくらでも訴えられるのでしょうが、そして僕もそれをすすめたのですが、いまの彼をつくってくれたのが秀樹先生である点、性格的には問題があるけれどそれでも研究者としての秀樹先生を尊敬している点、秀樹先生がいなければ自分はここまで英語を勉強しなかったであろうし、もはや別の先生についてまで大学院に行きたいとは思わないという点、もともと自分には大学院など身分不相応であって自分は予備校の講師が似合う、そんなことを言っておりました。(適宜編集してある)