資料を捨てるわけにいかないわけ

 文庫版になった由良君美先生の『みみずく偏書記』を図書館で借りてちら見したら、友人が、本や論文を書くのに、古本屋へ行って関係ありそうな本をどさどさ買い込み、書き終わるとどさっと捨ててしまうとあった。大笹吉雄先生も、『日本現代演劇史』は、書いたあとは資料を捨ててしまうと言っておられた。
 だが私はそうもいかないのだ。実際、捨てるとまで行かなくとも、売り払ってしまいたいものはあるのだが、後になって「ここが違っている」と言ってきた人がいた場合、原典と照合する必要が生じるからである。まあ上の人たちは、そういうのは「捨ててしまって分からないから、きっとあなたの言う通りなのでしょう」で済ますのであろう。 

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永福町の北側商店街に、私が引っ越す頃まで、古いエロビデオが置いてある店があったのだが、今日久しぶりにそこへ行ったら「ドエル書房」という古本屋らしきものがあった。それが妙なことに、覗くと古本屋らしいのだが、「ドエル書房(小料理)」と書いたプレートが置いてある。恐る恐る入ってみると、レジの向こうに壁があって、左側が古本屋で、右側が小ぶりの飲み屋みたいになっていた。古本はまだ整理されておらず、近代社の『世界戯曲全集』のシェイクスピア編があったので、買おうかと思ったが値段が書いてなく、振り向くとさっきまでいた小太りな青年はレジにおらず、しかも暑くて汗を掻いて古本屋にいたため便意を催し、そのまま出てきてしまった。

落語を聴かなくても人生は生きられる (ちくま文庫 ま 44-1)

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