武藤康史へご注進

 講談社文芸文庫から出た里見とんの随筆集『朝夕』は、新編集ではなくて、もともとあったものを文庫化したもので、私は元本を持っているのでもちろん買わなかったのだが、某人から、巻末の著作一覧の文庫のところに、私が編纂した中公文庫『木魂・毛小棒大』が抜けているとご注進があり、私は、まあそれくらいのことはあるだろうと言っておいたが、盛厚三さんも気づいて変がっておられる。
http://d.hatena.ne.jp/kozokotani/20111203 
 しかし書誌学には一家言ある武藤康史が、見落とすなんてことは考えられないから、わざとだろう。
 講談社文芸文庫は、年譜や書誌をつけているからありがたいのだが、しかしこの書誌が信用できるとは限らないのだ。大岡昇平の書誌からは、大岡が訳した推理小説が抜けている。私は以前そのことを指摘したのだが、それ以後出たものでも直っていなかった。
 武藤作成の年譜に、参考文献として『里見とん伝』が載っていないのは変だと言う人もいたが、これはまあ、あんな伝は出なくても知っていた、ということで良かろう。
 『能は死ぬほど退屈だ』に入れた「鎌倉の一夜」をブログに載せていた時、武藤さんから抗議文みたいなのが来たことはあって、在学中の女子学生と一緒に芝居を観に行ったのではなくて卒業生だというので、そこは直して、返事も出した。
 で、実を言うと、私が『恋愛の昭和史』を出した時、武藤は『FRAU』という女性雑誌に一頁分の書評を書いたのだが、それが妙に揶揄的で、最後に「自分に都合のいい恋愛論で気持ち良く生きたいものだ」とか書かれていて、私はそれなりにむっとしたのである。それ以前に武藤とは手紙のやりとりをしたことがあるのだが、武藤は毛筆で書いてくる。何しろパソコンを一切使わない人で、私がブログに書いたのも、友人からプリントしたのを貰ったと言っていた。
 だから2009年に鎌倉で鼎談をした時も、ちょっと気にしたのだが、まあいいかと思っていた。すると終了後、いろいろ資料を渡してくれた人があって、その中に、その『FRAU』の書評のコピーも入っていて、ありゃりゃと内心苦笑したものである。
 そういうことがあったから、「鎌倉の一夜」がいささか武藤に対して揶揄的だったとしたら、ちょっとした仕返しである。そしてさらにその仕返しが今回の中公文庫無視であるかと。ただ、講談社文芸文庫は、その前に里見短篇集『恋ごころ』を出した時に、紹介文が「明治、大正、昭和の文芸界を悠々と生き抜いた「馬鹿正直」で「一徹」で「涙脆い」、白樺派最後の文士・里見とんの真骨頂」とあったのだが、それは私の里見伝の「明治・大正・昭和の文学界を悠然と歩み去った大作家初の評伝。」と「『馬鹿正直』の人生」という副題をとりあわせたもので、しかも私に送ってくるでなし、抗議したが無視されたということがあった。大出版社がセコなことをするものだ。
 まあそういうことだ。しかし武藤さん、『CREA』のあの書評は、なんでああいう風に書いたんですか? これを見ていて武藤にご注進に及ぶお友達、またプリントして見せてやって下さい。