沖浦和光

 井上理津子『最後の色街飛田』(筑摩書房)を読んでいるのだが、2009年ころのことらしい、飛田に入り込んで取材している井上に、飛田を取材したテレビ番組の短いDVDが見せられて、桃山学院大名誉教授の沖浦和光が、「遊女の聖性がかいま見えますね〜」とか言っていて、井上は呆れた、という記述があった。
 沖浦は、まあ民俗学者とか思われているのだろうが、東大英文科卒、元は英文学者である。2006年に『悪所の民俗誌』(文春新書)を出したときに、今度は遊女は聖なるものだというのを書く、と書いていたから、私はたまげて、説得の手紙を出したのである。もちろん、間違っている、やめろ、というものだ。返事はなかったが、その後、出す様子がないから、やめてくれたのかなと思っていたら、09年にホントにそんなこと言っていたとしたら困った老人である。 
 ところで井上著だが、飛田についてこれだけ取材したものはほかにない。ただ、後半へ行くとあまり書くことがなくなったのか、だれてくる。それと、著者がいったい何を知りたがっているのか、だんだん分からなくなる。また、飛田の売春をなぜ放置しているのかと問うて警察にも聞いているが、じゃあ日本中にあるソープランドはどうなんんだろう。あと234p「昔から世長けている」ってこれは何だ?世故に長けていると世慣れているがごっちゃになったのか?

さいごの色街 飛田

さいごの色街 飛田