幸田露伴の『運命』は、元ネタを読み下しただけだという高島俊男先生の批判に、福田和也が反論していた。
福田「露伴は、あれだけ中国の文献を読んでいるけど、図書館みたいなものだという。つまり並んでいるだけで、解釈も意味づけもされていないということですね。だけど僕はそれだからこそ、すごいんじゃないかと思うんですよね」
磯崎新「そうですね。内容のない、無意味なものを、レトリックだけで組み立てるということですから」
福田「批判しているつもりだけれども、それは逆に露伴のすごさを図らずも示している。『運命』は本当にいいものですし、京都学派の連中が寄ってたかっても注をつけられないようなものですけど、露伴にはそこで何かを示そうというものはないんですね」(福田・磯崎『空間の行間』筑摩書房
 何だか意味が分からない。磯崎も『運命』を知っているのかどうか、意味不明なことを言っているし、寄ってたかっても注をつけられない、ってのも分からない。それならシェイクスピアを全部訳したら露伴になるのか。なんじゃこれは。
小谷野敦