マルクス系気違い

 どうやら世の中には、マルクス系気違いとでも言うべき連中がいるらしい。マルクスとかエンゲルスとかいう名前が出ると、もうそれだけでマタタビ食らった猫みたいに脳の中枢神経が麻痺して正常な論理でものを考えられなくなる奴らだ。佐藤優なんかもその一種だろう。
 最近、野口佳とかいう名前で私の本のアマゾンレビューを書いているやつがいて、どうも気違いっぽい、と思っていたら、猫猫塾のメルアドへメールをよこした。「野口佳こと椛沢清志」とかあるのだが、この名前で検索したら、あちこちにコメントをしていて、メルアドまでネット上にある。そこでそちらへ直メから返信したら、そっちには返事がなくてまた猫塾へ送ってよこした。ので削除した。猫塾のメルアドはそういう用途に使ってはいけないのである。
 先ごろ、自分が自費出版した歴史小説を送りたいと言ってきた高堀枝裕二というのも、猫塾からメールをよこして、住所を教えろ、私書箱でもいいと言う。別に教えたっていいのだが、小説を書くほどの者が、文筆家の住所はどこを見れば載っているか知らないというのが不快で、教えなかった。しかしどういうわけか出版社経由でも送ってこない。するうち、私がブログに書いたのを見て、こういう気違いじみたことはしません、というまた長いメールが来たから、住所なら…と教えたら十年くらい前の住所に送ったらしい。返ってきた、というメールが来た。なんで最新の文藝年鑑くらい見られないのだ。愚鈍にもほどがある。
 この椛沢という人は63歳くらいらしい(というのはネット上で2007年に59歳と書いてあるから)。要するに全共闘世代である。私は今のところ相手をしているが、全共闘世代の「マルクス」とか「革命」とかに関する言説は、少なくとも私にはまるでフィンランド語のように通じない。いったいなぜ人が「興味がない」と言っていることに、興味を持たなければいけないと強要してくるのか。こうした連中には、自分らの発想は普遍性を持っていないということを徹底的に分からせるしかないと思う。まあ生涯分からずに終わるのだろうが。
(付記)
 今日は一日、上記気違いの相手をしていた。野口某という仮名は、昔好きだった女子からつけたそうである。これは気違いによくあることだ。また、言いたいことがあるなら、ブログを作って書けばいい、と言ったら、サイバー攻撃にあう恐れがあると言う。これも気違いが言いがちなことだ。また、自分の理論は鉄壁であるかのように言うが、著作はおろか論文すらない。そしてアマゾンレビューでのやりとりを見ると、世間の学者がみんなダメだから、自分の論は認められないのだと思い込んでいるらしい。これも気違いの特徴である。