たけくらべ論争補遺

 『たけくらべ』の最後が水揚げである、と主張したのは佐多稲子で、それより前に太田一夫という正体不明の人が書いていたということを『現代文学論争』(筑摩叢書)に書いたのだが、ウィキペディアを見たら、太田よりはあとだが、こちらは正体明瞭、佐多の前の夫の窪川鶴次郎が書いているとあったので確認した。
 窪川の『東京の散歩道』(現代教養文庫、1964)で、「読売新聞」に1961年4月から64年3月末まで週一回連載されたものだという。

 作品のおわりのところで美登利は、姉がおいらんで出ている大黒屋にはじめて泊まって寮へもどってくる。きのうまでとはまるで人が変わってしまった自身を、自分では理解できない。そういった衝撃の微妙なありようが、自身に対しても勝ち気なままに、実に的確にとらえられている。それはこういった世界にみられる水揚げといった言葉で行われる慣習を想像させずにはおかぬ。

 もっともこの場合、佐多がこれを知っていたかどうかということは、割と重い問題になる。だって元の夫なのだから。そして佐多はいっぺんも、窪川の名をあげていないわけで、窪川は74年に死んでいるから、論争も知らないわけ。「やあ、やあ、やあ」。