大丈夫ですか司馬遼太郎先生

 塩澤実信の『雑誌記者池島信平』を読んだ。遺族に取材したちゃんとした伝記なのだが、池島自身が常識人すぎて、そう面白くはなかった。さてこれは93年の文春文庫版で、最後に司馬遼太郎の解説がついている。しかしどうも、司馬らしくない、おちつきのない文章で、どうやら本文を読まず、池島未亡人に頼まれて、池島の思い出を書いたものらしい。
 その冒頭に、1968年ころ、司馬がパリにいると、東大を出てソルボンヌでフランス経済を勉強していた、今は(93年)法政大の助教授になっている「長谷部重康」という旧知の青年に会ったので話していると池島に遭遇し、司馬が池島に、「長谷部」を、東大の後輩だと紹介すると、池島がいきなり「長谷部」に、当時の学生運動がひどいと叱言を言い始めたので驚いた、何も「長谷部君」が学生運動をやっているわけじゃなし、というのである。
 四回くらい「長谷部」と出てくるのだが、これはどう考えても「長部重康」のことなのである。もしかしたら、まったく世に現れていない長谷部という人がいるか、長部は当時長谷部と名乗っていたか、でなければ、あの司馬遼太郎が、知人の名前を間違えるというのも驚きなら、それが文春の校閲を通ってしまうというのも、やや驚きである。
 司馬が死去するのはこの三年後だが、果たしてこの文章は全集などに入っているのだろうか。

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大浦康介編の論文集『ポルノグラフィー』に、私の名前が出てくると聞いて、書店にあったので立ち読みして、たまげた。私の名は一か所だけ、沖縄大学准教授の圓田浩二という者の論文に出てくるのだが、圓田は立命館大卒、関西学院大で博士号をとっており、フィールドワークによって、「援助交際」をしているのは女子高生は多数ではない、ということを発見したらしい。それで、援助交際を女子高生がするものとした、私と永田えり子の、90年代末の文章からちょこっと引用して、「学者という肩書を持つ者でさえ」そんなことを言っていたと非難がましく書いているのだ。
 いや、どこまで人間が卑しいのであろうか。私や永田の論は、『制服少女たちの選択』を書いた宮台真司に対応したもので、「制服少女」が女子高生以外の何であるのか。つまり、援助交際は女子高生がやるものだというのは、誰が言い出したかは知らね、「学者という肩書を持つ者」としては、宮台が大前提として置いたもので、しかもその当時、そんな不良少女の売春なんてのは昔からあった、という批判に対して、いや、学校でも成績がいい子もやっているのだ、と宮台は反論していたのだ(しかしこれは反論にはなっていない。不良少女は頭が悪いなどということは前提になっていないからだ)。
 つまりこの圓田というやつは宮台派で、当時宮台を批判した私や永田に嫌がらせをするために、こんなことをしているとしか思えないのである。
http://www.okinawa-u.ac.jp/kokusaicomResearcherProK.php?eid=00060 
 こいつである。「モットー:言行一致」とかあるが、公正という徳には関心がないらしい。