宇野千代の『生きていく私』という私小説を読んでいたら、最後の夫だった北原武夫が、宇野と別れて別の女と結婚した後で、27歳くらいの女と三年間の情事があって、それを「霧雨」という小説に書いた、とあったので、私はその『霧雨』という講談社から出ている箱入りの単行本を古書で買って、しばらくたった。
それで読み始めると、登場人物に名前がなく、「男」「女」とだけあって、情事の私小説らしい。ところがその小説は途中で終わって、あれっと思って確認すると、これは「雅歌」「別離」「霧雨」の三つの短篇が入っていたのだ。それで「霧雨」を読んだ。
その後、時期的なことを確かめようと、これはもっと前に買ったきりになっていた講談社文芸文庫『情人』で北原の年譜を見たのだが、1964年、57歳で宇野と離婚、翌年、久下慧子と再婚している。若い女との情事は、67-69年頃のことらしい。ところが、はっとしたのは、この『情人』をぱらぱらしていたら、冒頭が何か見た気がして、実はそれが「霧雨」だったのである。ありゃりゃと思って良く見ると、これは「霧雨」とその続編の「黄昏」から成っているのである。
じゃあ『霧雨』講談社版が出てからしばらくして、再編成して『情人』が出たわけだろうと思って見ると、71年に講談社から『霧雨』、72年に講談社から『情人』なのである。73年に北原は死ぬのだが、それは関係ないだろう。ややあ、これはあこぎな商売だなあと思ったのであった。