http://mainichi.jp/enta/book/hondana/archive/news/2010/09/20100926ddm015070003000c.html
これが読んだ時から気になっているのだが、最後のほうの意味がつかめない。ナボコフは、チェルヌイシェフスキーの伝記を書いているロシヤ人を描いて、『賜物』の第四章はその伝記である。丸谷は、ナボコフはチェルヌイシェフスキーの『何をなすべきか』を肯定している、と言いつつ、イデオロギーにかかわりなくいい小説はいい、そこをナボコフはごまかした、と言っているのだが、それは『何をなすべきか』がいい、という意味なのか、分からない。なんかこの文章には、丸谷先生がボケたのではないかと疑わせるものがある。
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http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20110409
前に書いた支倉常長論争だが、ひとつ見ていなかった大泉の『捏造された慶長遣欧使節記 間違いだらけの「支倉常長」論考』を見た。田中は、失敗に終わったと言われる支倉使節だが、その肖像画を見ると栄光に満ちていると論じているが、その肖像画は田中(?)によって書き換えられたと主張している。その辺はどっちもどっちなのだが、田中が、大泉の『支倉常長 慶長遣欧使節の悲劇』で、ヨーロッパ人が支倉らを描いた文章を批判して、「日本の使節一行は、いずれも節度ある礼儀を重んじ、つつましい中にも、威厳を備えていた」とあるのを、なぜ引用しないかと言っている。ところが大泉は、仏文を見てもそんなものはない、田中の捏造ではないかとこの本で言っている。田中は『西洋と日本の対話』で大泉に反論しているが、ここのところには触れていないので、やっぱり、なかったんですか田中先生、という気がする。
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吉澤夏子の『世界の儚さの社会学 シュッツからルーマンへ』(勁草書房、2002)を初めて見たのだが、その最後の節は「愛の関係」の章題で、こんなことが書いてある。
誰かを愛するということは、ある他者をそのまままるごと、全的に享受することである。それは他者をあくまで他者として、すなわちその他者性を喪失することなく体験しようとすることにほかならない。しかしもしそうだとすれば、その試みは絶望的なまでに危ういものにならざるをえない。なぜなら、他者のすべてを享受しようとすればするほど、その愛する相手は、私からたえまなく離れていこうとする、たえまなく逃れていこうとするほかないからである。愛する相手は、私から「離れていく」、「逃れていく」という様態においてこそ、つまりその否定性においてのみ、その他者性―すなわち、その愛する人がまさにその人であるという唯一性―を現すのだから。他者を積極的=肯定的に位置づけ意味づけ、それに沿って行為しようとした途端、その他者は私の一部に、私の世界の一つの要素になってしまう。それは、私と全的に向かいあっているはずの、したがって、生き生きとした現在を私とともに生きているはずの他者ではない。愛するということは、その愛する他者を、そのようにして私の世界へと取りこみ、私の世界の道具にしてしまうことではない。
ここには、愛の可能性は同時にその不可能性である、という逆説がある。
いっちゃってるとしか思えないのである。さて今はどうしてござるのであろう。
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坪内祐三が『週刊文春』で、江藤淳が吉行淳之介を「文壇の人事部長」と呼んだと書いている。しかし江藤は「文壇の人事担当常務」と書いたのである。まあその後、世間では「人事部長」だったが、江藤はどこかで「部長」と書いたのだろうか。