http://www.cyzo.com/mt/mt-search.fcgi?blog_id=13&tag=%E8%8B%A6%E5%BD%B9%E5%88%97%E8%BB%8A&limit=7&IncludeBlogs=13 
 なんかこの記事に私の名前が出てくるらしいので『サイゾー』を立ち読みしてきた。芥川賞受賞二作のうち、古いのはヌーヴォーロマンの「きことわ」で、西村賢太こそ新しいというのだ。インターネットがどうとかでブログがどうとかで、私小説が新しくなってしまった、という。
 実はよく分からないし、私には古いから悪いとか新しいからいいとかいう考えがない。ただ私は、80年代以降、作りものは結局通俗になる、ということが明らかになったのだ、と思える。
 しかし大見という人は、だから私小説をこそ書け、とはなぜか言わないのである。そういう、メディアと故人の関係を俯瞰的にとらえたのは、阿部和重の『ピストルズ』くらいだ、と言うのだが、『ピストルズ』は、『シンセミア』でかろうじて純文学の範疇にとどまったのが、通俗になってしまったものだと思うのだが、大見の論旨の展開がまったく唐突で、分からない。