凍土の共和国

 金元祚の『凍土の共和国ー北朝鮮幻滅紀行』(1984)という本がある。呉智英さんが『読書家の新技術』で勧めていたので、89年くらいに読んだのだろうか。まあ今となっては、北朝鮮に幻想を抱いている人なんかいないから、蒙を啓かれるなんてことはないし、私が読んだ当時でもそうだった。むしろ、北朝鮮で観せられた演劇が面白かった、という記述だけが記憶に残っている。悪辣な地主を、若い恋人たちがやりこめるという筋で、コミカルな展開でみな喜んでいたとあって、文章を読んでいてさえ、観てみたいと思わせた。
 そうなのである。社会主義だって共産主義だって、はじめはまったき善意、本当の悪との闘いの意志から始まっていたのである。先日「小さな中国のお針子」を観て、下放された青年が、27年後に、一方は国際的ヴァイオリニスト、一方は歯科医学の権威(?)になるという結末に、何だか不快なものを感じて「造反有理」とか叫びたくなってしまった。
 アドルノとホルクハイマーの『啓蒙の弁証法』は、決定的に時代遅れの書物だと思うのは、現代においては、まったき善意から始まった社会主義共産主義が、なんでこんなことになってしまったのか、ということを扱うべきだからである。そのために参考になるのは、バクーニンであり、勝田吉太郎であり、ハイエクであるだろう。

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そういえば『母子寮前』は、引越しに関する記述で編集者からダメ出しが出たのだった。大阪へ行く時に、母に手伝ってもらえば良かったとか、東京へ帰る時に母に引っ越し先を探してもらったこととかで、普通は一人でやるんじゃないかと言われたのである。しかし帰ってくる時の私は、こだまにびくびくしながら乗れる状態だったので、これを加筆した。ただこの件は未発表の小説に書いてある。あと私の頭では、引越しというのは、友達や家族に手伝ってもらうものだが、大阪へ行く時はあちらにそんなことの頼める友達はいなかったし、まあだいたい私は友達がいない人なのである。今では引越し屋に荷造り荷ほどき全部頼んでしまう。一般的には、友達がいない人は一人でやるものなんでしょうか。