選考委員と大河小説

 大岡昇平が『レイテ戦記』を出した際(一九七一年)、野間文藝賞の候補になりながら、選考委員の間から、文学作品というより戦争の記録なのでとかいって、候補から外してくれという声があり、大岡が怒ったという事件があった。『レイテ戦記』は毎日藝術賞を受賞したが、その時外してくれと言った選考委員というのは舟橋聖一で、結局みんな、あの長いのを読むのが嫌なんだよ、と言ったという(『成城だより』)。当時、確か舟橋は失明していたはずで、読書は頼んだ人がテープに吹き込んでくれたのを聴くようにしていたはずだ(舟橋美香子『父のいる遠景』)。それなら、選考委員を辞任するのが筋だろう、とも言える。
 しかしこの「長い候補作」というのは、見ているとしばしば感じることで、野間宏の『青年の環』とか、臼井吉見の『安曇野』など、『レイテ戦記』の二倍はあろうかという大河小説で、いずれも谷崎潤一郎賞を受賞しているが、果して選考委員がみな読んだのだろうかと思う。よく、直木賞選考委員で、編集者からあらすじを聞いて選考会に臨んでいるなどと悪口を言われる人がいるが、現在では長編か短編集を五、六冊は読まねばならないのだから、人ごとながら大変だろうと思う。佐藤多佳子の『一瞬の風になれ』なんて全三巻の大冊で、しかも候補作が決まるのはせいぜい一ヶ月前、選考委員はほかにも仕事のある人気作家で、ほかに四、五点の候補作がある中、本当に読めるのか、読んだとしたら偉いとしか言いようがないし、四十代、五十代ならまだしも、七十代の選考委員などさぞ大変だろうと思う。
 芥川賞なら、最長二五〇枚の短編だからまだいいが、こういう大長編は、前から読んでいたとかならともかく、もう飛ばし読みするしかあるまい。そういう意味で、私はいくらかは舟橋に同情もするのだが、何も候補から外さなくたって、適宜拾い読みすればだいたいは分かるだろう、とも思う。

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著書訂正
『日本文化論のインチキ』190p、小泉八雲が「晩年松江に住み」は間違い。松江に住んだのは来日当初でした。

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国文学界というのは閉鎖的だと言われていたが、「国文学」ではなく「日本文学」に変わって閉鎖的でなくなったかというとそんなことはなくて、学者でない人の研究書なんて、国文学雑誌で書評を載せたりしないのだよね。

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http://blog.goo.ne.jp/ayakashi1154/

「女子大生」で某女史が、女子大の未来はセレブの妻養成機関、などとすごいことをいうたはるのが見物です。さて、誰でしょう?ふふふ。

ふと、佐伯順子さんではないかと誤解する人がいるかもしれないので書いておくが堀江珠喜である。