「看護婦」は差別語か

 近ごろ「看護師ファシズム」と戦っている私である。男は看護士、女は看護婦でいい。法令上、両者を看護師にしたからといって、通称まで規制される必要など全然ないのに、まるで国が日本語を規制しているかのように(そんなこと憲法上許されないのに)思って校閲をかけてくる人らがいる。まあ「客室乗務員ファシズム」と同じ、どうでもいいことを直したがるフェミニスト一派の策動だろう。俺はむしろ「OL」のほうが、女が働くことを特別視した言葉だと思う。
 だから、『シナの五人兄弟』を、「中国の五人兄弟」ではなく「シナ」で訳した川本三郎が、亡妻を偲ぶ記でずっと「看護師」と書いていたのは、残念だった。
 ところが、林真理子が真杉静枝を描いた伝記小説『女文士』を読んでいて、看護婦というのが、昔は不良女がなるものと考えられ、差別されていた、ということを知った。すると「看護婦」というのは差別語だったのだろうか。しかし、現在、看護婦をそういう風に見る人は、まあ医療関係者ならいるかもしれないが、一般にはあるまい。
 ところで『女文士』は凄い小説だと思ったが、十津川光子の『悪評の女』という真杉静枝伝があって、オリジナリティはさほど評価できないことが分かった。この十津川光子というのは、文学賞マニアなら聞き覚えのあるだろう、朝海さち子の名で太宰治賞(1974年)をとった人であるが、その後どうしたやら。いずれも筆名だが、慶大の付属看護婦養成所か何かを出て看護婦をしていた人で、『胎動期』は新藤兼人が「私たちは天使じゃない」として映画化したはずだが、これはビデオとかになっていないなあ。ちくま文庫で復刊してくれないものか。

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担当編集者が異動になったので『SAPIO』を送ってこなくなった。それでさっきコンビニで「ゴー宣」を立ち見したら、欄外に「天皇に姓はない」と書くとシナ思想の影響があると高森だかに言われたとかで、確かにそれは「姓(かばね)」であるから今後は「天皇に氏はない」と書く、とあったが……。
 まあ一般には「源平藤橘豊」が氏とされるが、日本史学者は「姓」という。これは「朝臣」などの「姓」とは違うものだが、ニッコクを見れば、「姓」でもいいことが分かる。だが「天皇に氏がない」という書き方はちょっとやばくて、それでは天皇はどこの馬の骨とも知れないという意味になってしまうから「氏名(うじな)がない」の方がいいのではないかと思った。