告白の代償(最終回)

 私の妻も、吉野と交渉する過程で、
 「やばいこと言ってるのは間違いないんだから」
 と言ったことがあるが、それはまさに「やばいこと」であり、思っていても言わない方が身のためという、そういう認識でしかない。偽善者ばかりなのである。その後、五十歳前後の女性学者も、「思ってても言わないのよ」などと言っていた。
 そんな中で、私が、湯沢夏生その人のことを気にしていたのは言うまでもない。もう既に音信が不通になっていたけれど、私としてはこうなってくると、いずれ当人の耳にも入るだろうし、私はああいう歪んだ形で夏生のことに触れてしまったのは、伊藤悟などどうでもよく、むしろ夏生に対して申し訳なく思っていた。
 ところが、妻に聞いて知ったのだが、この頃伊藤悟は、例の日記を復活させていた。むしろこちらの方が問題であって、夏生が気を悪くするということ以上に、私は、世間が、夏生の正体を探ろうとするのではないかということを懸念した。だいたい伊藤悟にしても、それくらいのことは考えつくはずである。しかるに、ひたすら私を攻撃したいばかりに、こういうことをする。当の女性の迷惑ということを考えていない姿勢には、もはや怒りを覚え始めた。
 その上、伊藤悟の設けた掲示板には、何者かが「『もてない男』を読んで吐き気が止まりませんでした」などと書き込んでいるし、ほかにもいくつか、この伝聞を書き込んでいるのを発見したが、その一人は、いっぺん大阪で私に取材に来た鈴木K一という朝日新聞の記者だったが、これはフェミニストらしく、後に太田大阪府知事が大相撲の土俵に上がりたがっていたのを応援して、女が土俵に上がっている証拠写真もあります、などと言っていた。下らん。鈴木は、シンポジウムの会場にもいた。それが、「私も聞きましたが」といった書き込みをしていたので、メールを出して、記者なのに事実確認もせずにああいうことを書くのですかと詰ったら「言った言わないの議論には踏み込みません」などと返事が来たから「言った言わないの議論にはなりません。あのシンポジウムは録画録音されているのですから」と言ったら、以後返事が途絶えた。しかも鈴木は、自分の書き込みを削除はせず、付記を付けただけで、「自分が言ったことを抹消したくない」などと言っていたが、ネット人間のこの執拗なまでの削除嫌いは何なのだろうか。 
 いっぺん伊藤悟にメールを出して削除を求めたようにも思うが、返事がなかったので、とうとう、生まれて初めて、近所の弁護士事務所を訪ね、「催告書」というものを書いてもらったのは、二〇〇一年の九月一九日のことである。つまり、ニューヨークで同時多発テロが起きた八日後のことだ。それを伊藤悟に内容証明つきで送り、削除を求めたが、一週間たって、削除が確認された。私はほっとして妻に電話して「いや削除してくれて良かった。しなかったらどうしようかと思った」と言ったら、妻は強気で「その時は訴えるんでしょう」と言ったから、少し驚いた。当時は私も、裁判を起こすなんて大それたことだと思っていたのだ。   
 それと前後して、私はとうとう、大阪にいる湯沢夏生に詫びの手紙を書いた。三鷹駅前のポストに投函したのではないかと思うが、返事は来ず、夏生との連絡は途絶えた。
 私がこうしてあちこちに削除を要求しているのを、山形浩生という評論家が聞きつけて、ネット上に「安易な削除要求について」という文章を掲げ、聞くところではむしろ伊藤悟のほうが現場では浮いていたようだが、安易にあちこち削除を要求するのはどうか、などと書いた。この文章は今でも残っているが、愚か者め。伊藤悟が浮いていたかどうか、などということは関係ないのである。「(嫌悪感から)」などと言ってもいないことを書くからいけないのであって、しかもその当時、まだブログというものは普及していなかったし、私にはウェブサイトを作る技術がなかったが、その気になれば著書の中でいくらでも弁明・反論はできた。なぜそれをしなかったかといえば、夏生の正体を探ろうとする者が出ることを恐れたからである。東大卒でもそういうことが分からんのか、と腸が煮えた。
 結局この件で、最後までネット上に書かれたことを削除するのに抵抗したのは、大阪にいる、元左翼活動家の井上はねこで、伊藤公雄から話を聞いているなどとネット上で主張していたが、いくらメールを出しても直接の返事はなく、ひたすらネット上で私を揶揄嘲罵するばかりで、いったいなぜちゃんと話をしようとしないのだろう。私は二〇〇六年、とうとうはねこを提訴し、シンポジウムの録画ビデオを証拠として東京地裁に提出、はねこは最初の答弁書だけ自分で書いて、東京まで来ると言っていたようだが、ビデオを観て自身の勘違いに気づいたらしく、以後ついに現れず、勝訴して、サイトを削除させた。
 湯沢夏生は、二年に一度くらい、大学の紀要に論文を載せているだけで、表に出ることはなかったが、最近になって、ふと、勤務先の大阪の大学のサイトを見たら、小さな私大のサイトの常で、教員の名前一覧を探し出すだけでも大変だったが、名前がないので不審に思って、調べたが、どこか別の大学へ行った形跡もなかった。夏生を知っていることは周囲には隠さなければならなかったから、私は直接大学に問い合わせたところ、一年以上前に、病気のため死んでいたことを知った。『英語青年』の訃報記事にも出ていなかったから、知らなかったのである。
 死因は詳しくは分からなかった。自殺ではあるまいなと懸念しつつ、暗然たる気分になった。しかしこれで、とりあえずは夏生のことについて、堅く沈黙を守る必要はなくなったわけである。
 ふと思ったのは、どうせなら夏生とセックスしておけば良かった、ということだった。「男でもいいんだけど」と言っていたのだから、誘えば一度くらい、できたかもしれない。当時の私は、好きな相手とでなければ、しないという考えだったから、やむをえないが、もししていれば、レズと分かってもセックスしたんだ、と、どこで主張するのか知らないが、言えたような気がする。それだけだ。

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小森陽一が『Scripta』で、多くの男性批評家や研究者が『1Q84』について提灯もち的批評文を書いていた、と書いているが、なんだよその「男性」って。鴻巣だっていただろう。あんな二流のアクション映画みたいな小説を絶賛する小野正嗣が私には信じられん。
 (小谷野敦