そこは大きなホールで、私は旧知の女性詩人と、その少し前からメールのやりとりをしていた久留米大学の四十くらいの助教授の片田さんとに会い、はじめそこに坐って彼女らと話していたが、司会者に呼ばれて壇上へ上がった。向って左側に永田、藤木、いちばん右に私、その隣が伊藤悟だった。伊藤公雄は、はじめの挨拶だけすると姿を消した。
そして最初は、街頭インタビューのビデオが十分ほど上映され、「フェミニズムってどう思いますか」という問いに、ええーあんまり関係ないしー、といった若者の声を拾っていたが、あまり意味があるとは思えなかった。
続いて、私を除くパネリストの作ったレジュメが配布されたのだが、なぜかほかに一式、主催者団体の女子学生らしいのが作った文書が入っていて、それが驚くべし、藤木のレジュメへの激しい批判だったのである。
藤木のレジュメは、どちらかというとフェミニストを批判するものだったが、中に、「世間が抱くフェミニストのイメージ」として「スカートをはかない、結婚しない」というのがあり、その女子学生は「ヒラリー・ローダム・クリントンはどうなのだ」などと書いていた。「世間が抱くイメージ」なのに、誤読して突っかかっているわけだ。私はここに「ローダム」という旧姓を入れておいたのが印象に残って、そこだけ覚えている。
藤木美奈子はこれにざっと目を通すや激怒して、
「私がフェミニストが嫌だというのは、こういうところなんです」
と言った。進藤は、これを書いた人が会場にいるかどうか尋ねたが、どうやらもう逃亡してしまったらしかった。もっとも、こういうものをパネリストのレジュメと一緒に配ったスタッフがいたわけで、主催団体の内部分裂が露呈していたといえよう。
私は藤木に同意したが、伊藤悟はこの間、沈黙していた。
なお私は壇上で喫煙していたが、これは進藤に許可を得たもので、私は喫煙なしでは長時間の緊張に耐えられないから、ということであった。ただ伊藤悟は風邪をひいていて煙がつらいということだったので、途中で、向かって右端に少し離れたところに座っている進藤の席へ移ったりもした。
藤木はDV体験について語るというより、それを語る際に受けた嫌な思いについて語った。
「私があんまり強そうにしていると、いけないって言うんです。弱々しくしてなきゃいけないとか」
ついで、永田が、売買春反対論を述べ、当時これに賛同していた私との、いくつかの問答があり、その後、伊藤悟の番が来たが、そもそもこのシンポジウムは、元来「フェミニズムはなぜ嫌われるか」であり、なぜそういう思想が理解されにくいかを論じる場だったのに、伊藤はそれを理解していないのか、理解したくなかったのか、レジュメに基づいて、いかに同性愛者が迫害されてきたかといったことを述べ始めた。かつては同性愛を治療するためということで電気ショックを与えられたとかいった歴史的な話から、自分自身が、「相方」と一緒に住みたいと思い、しかもそれを自分の母親とともにしたために惨憺たる苦しみに遭い、自分らが、異性愛のカップルと同じ思考をしていたということに気付いたという話――。
なるほど、この伊藤の、同性愛カップルが片方の親と、まるで「嫁」のようにして暮らそうとした話は、興味深い。ただ、恐らく会場では、これに激しい共感を覚えつつ聴いている者と、伊藤の語り口のあまりの余裕のなさと激しい真剣さに違和感を感じている者とに分かれただろうし、なかんずくその日の論題とずれていることに気付いた者には……。伊藤悟は、同性愛者であるためにこうむっている被害について列挙していたが、その中に「本の企画が通らない」というのがあった。恐らく、同性愛問題を論じた本のことだろう。だが、本の企画が通らないということは、その後私が文筆家となっていって分かったことだが、売れなければ間々あることであって、特に同性愛解放を訴える本は売れない。売れないということから、なぜ多くの人の支持を得にくいのかということを考えるべきであって、激怒していても解決にはならないのである。
進藤から、「悪役」を演じるよう指示された、と理解していた私は、伊藤の話が一段落したところで、しかし自分と恋人とかとの関係を親には言えないというようなことは、異性愛でもあることではないですか、というようなことを言った。むろんそれは、世間一般が抱くであろう素朴な疑問を代弁したものである。
だが、伊藤悟は突如、大声で、
「全然違います!」
と半ば叫ぶように言い、滔々と弁じたて始めた。前のほうで見ていた女性詩人は、
「もう、伊藤さんが怒鳴ってから先生の顔色がどす黒くなって…」
と後に言った。
こうしたシンポジウムは、「朝まで生テレビ」のように、司会など無視しててんでんばらばらに喋るわけではないから、司会が介入して話はまたあちこちした。伊藤悟は、最近、さるテレビのヴァラエティ番組で、自分は同性愛なのです、という相談をしてきた人があり、司会者のお笑い藝人、確か島田紳介がそれを笑いの種にしていた、と憤りを籠めて話した。そして、あたかも私を差すかのように、大きな声で怒鳴るような話し方で、
「私は前に、ある初老の方から、あなたはどうしてそうお説教するように、怒りながら話すのか、穏やかに話したほうが分かってもらえるのではないか、と言われました」
しかし、怒らなければ分からないのだ、といったことを、大声で話した。
隣にいる私は、自分が怒鳴られているように感じた。それは、大学へ赴任してほどなく、酒乱の同僚から恫喝された体験をフラッシュバックさせられるようなものだった。伊藤悟は、自分は弱者だと懸命に訴えているが、体の大きい、怒声とも言うべき声を出せる、そして「正義」を少なくともその場では背負っている伊藤は、その場では弱者ではなかったのである。
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民主党が夫婦別姓法案を提出するという。愚かなことだ。
夫婦別姓を望む女は、往々にして一人娘で、家名の存続を期待されている。つまりこれは家制度の延命に力を貸すものである。
そして現実には何が起こるか。子供が生まれた際、その姓をどちらにするかで、あちこちで夫婦の意見が食い違い、家裁の協議を仰ぐことになろう。しかしそんな協議を仰いでしまった夫婦が、そのまま夫婦でいられるかどうか。家裁の決定を不服としての地裁への提訴が増え、もうその頃は離婚である。結局、裁判と離婚が増えるという、社会の不安定化をもたらすだけなのである。
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http://www.sonymusic.co.jp/TIMES/1992/04index.html
ここに何か変なことが書いてある。4月8日、東大が25年ぶりに入学式、ってところで、入学式はずっとやっていたぞ。91年3月に、卒業式を24年ぶりにやったのだが、どういうことかな。
東大の文学部で、人数が多いのは、哲学、社会学、英文科だが、哲学科はキチガイが多く、社会学はバカが多く、英文科は俗物が多い。
(小谷野敦)