野球嫌い

 私は、野球が嫌いである。今はそうでもないが、私の若いころなど、野球帝国主義で、男なら野球を好きでなければ日本人に非ずという雰囲気があった。要するに米国人のまねである。
 もちろんそこには、シーズン中は毎日毎日野球ばかり見ている父親への不快感もあった。とはいえ、若いころはまだ世間と妥協しようという気持ちも多分にあったし、中学生の頃は高校野球など素直に面白がって観ていたこともある。
 海老沢泰久の『監督』などというのは大学時代に読んで、けっこう広岡達朗に憧れたりしたものだ。『本の話』に海老沢のインタビューが載っていて、とても末期がんとは思えない写真だったので驚いた。
 しかし今はもうダメである。北村薫さんの『1950年のバックトス』なんてのも、もう野球小説だというだけでつらかった。
 とはいえ、実にバカバカしいと思ったのは、辻原登の「枯葉の中の青い炎」で、これは川端康成文学賞をとっているのだが、これも野球小説で、しかも通俗的、かつオカルト的、かつまとまりがない。相沢進という実在の人物に魔術を使わせている。相沢はミクロネシアから来た野球選手で、そこで中島敦に出会って、スティーヴンソンの「びんの中の小鬼」に出てくる南海の魔術を持ち帰り、それを使ってスタルヒンに勝たせる。
 これはもう、スタルヒンと聞くと興奮するというような奴にしか通用しない小説である。私には、辻原という人がなんであんなに評価が高いのかよく分からんのである。丸谷才一派に属しているからであろうか。「村の名前」なんて、何が面白いのか分からなかったし、だいたいてにをはがおかしい。「枯葉の中の青い炎」も、スタルヒンの名前を説明するところで、ロシヤ人の父称について細かく説明しているのに、本文で「ヴィクトル・コンスタノウィッチ」とあるのだが、父親がコンスタンチンなのだから、コンスタンチノヴィッチでなければおかしいだろう。父称がこんな風に省略されることがあるのだろうか。

 もっとも野球嫌いでは妻は私を上回っていて、新聞社が配るカレンダーの下のほうに野球の広告があると、壁に貼る時にそこを折って見えなくしていたからたまげた。おそらくここは、日本一野球が嫌いな世帯に違いない。

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天皇の煙草」を載せた頃、この語で検索すると「煙草を配った天皇は馬鹿だ」ってのがトップに来ていたんだが、なくなったな。街宣車が来たのかな。

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たびたび登場する東大出身のI氏だが、2004年の参議院選挙の時に、MLを使って実に奇妙なことをお願いしてきた。
 自民党尾身幸次の娘の尾身朝子が出馬するので、ぜひ投票してくれ、というのである。朝子はIと東大法学部でも会社でも同期だという。Iは学生時代から「マルキスト」などと言っており、その時でさえ、自分は自民党に投票したことはないが、同期となるとひと肌脱がねばなるまい、と言うのである。私にはさっぱり分からない。しかも会社では、同期は一人50人がノルマ(?)になっている、という。この(?)は原文についていたものだが、へえあの会社ではそういうことをするのかね、である。しかもどういうものか、単に投票するだけではなくて、「支援する会」とかいうのに連絡してくれ、と言うのである。
 さすがにこれに返事をした者はなかったし、投票した者がいたかどうかも怪しいが、驚いたのは、Iと法学部から会社まで一緒のAなる者が、「支援する会」の代表だというので、追ってMLで発言したことで、Aは常識人だから、賛同できるなら、ということで、これは本来難しい問題で、などと書いていたが、私はむしろ、会社の同期だとそういう会をやらされるのか、しかもそれを大学時代のサークルのMLなどで頼むものなのかと、まあ私が世間知らずだからなのだろうが、思ったものである。
 さて、尾身朝子は落選、その後も出馬して落選したが、それがいかなる人物であるかは、その後の報道でよく分かった。私はこの二人を今後信用するつもりはないのである。
 (小谷野敦