年齢別レビューの提唱

 むかし鴻上尚史が、女子高生などが自分の芝居を観に来ると、「君らの年で分かるわけないんだから」と言って帰した、と書いていた。
 では二十歳になったらみんな一斉に大人になるかといえばそんなことはもちろんなくて、四十くらいにならないと分からない小説や映画というものがある。
 ミクシィというのは平均年齢が低いから、レビューなどを見ていると、はっきりと、大人向けのものの評価が低く、「なんだかよく分からない」などと書いてある。もちろん、例外はある。今回の芥川賞受賞作などは、典型的な「大人向け」のものであって、そのせいかミクシィでもアマゾンでも平均点が低い。
 いっそのこと、これらのレビューは年齢別にしたらどうであろうか。40歳以上と未満に分けるのである。二十歳で分かるわけのないものを二十歳の子にレビューされてもなあ…と思うのである。

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イタリア文学の翻訳家・大久保昭男は、モラヴィアの訳で知られるが、その回想エッセイ集『故郷の空 イタリアの風』を読んで、郷里が私と近いことを知った。
 大久保はモラヴィア早川書房などから訳出していたが、角川春樹に依頼されて角川文庫に入れて売れ行きは良かったがそれで早川と縁が切れたという。ところがその後春樹が、モラヴィア共産党寄りであることを知って、以後モラヴィア作品は再版しなくなったと書いてある。
 しかしそれもおかしな話で、春樹が大々的に売り出した森村誠一が、共産党シンパであることはよく知られている。

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新刊案内で、山中麻弓『麝香魚』というのがあって、「…・で世にあまねく才能を響かせた著者の…最新短編集」とあって、はてなと思った。もちろん、世にあまねく、というような事実はない。これは山中の五冊目の本で、最初のは1994年に出ている。98年にエッセイ集『雨ハ降ルケド、オ前ハ泣クナ』を筑摩書房の女性編集者が送ってきたのだが、一読して感心しなかった。文章が良くないのである。
 その良くなさは、次の長編小説『カルマ落とし』の一ページ目を開くとすぐ分かる。「汚辱に満ちた生」とある。こういう手垢にまみれた言葉を使うこと自体問題だが、それを一ページ目で使うというのはさらに問題だ。そして山中麻弓の文章は、徹頭徹尾こんな風なのである。今度の新刊が、その悪弊から抜け出していることを願う。

 (小谷野敦