横光利一について

 横光利一といえば、戦前は高い評価を受けていたが、いわゆる戦争協力もあって、戦後は忘れられた作家になっていた。しかし、80年代ころから再評価が進み、特に菅野昭正が『横光利一』を出したのが大きかった。
 しかし、いざ読んでみると、確かに短編はおもしろい。「機械」とか「機械」とか「機械」とか…。
 だが長編は実につまらない。『上海』は構成が粗雑だし、『旅愁』なんて退屈で読みとおせたものじゃない。『紋章』はいくらかましだが、影の薄い同行者みたいに、あれっ、いたっけ、という感じで存在を忘れてしまう。
 戦争協力しようがしまいが、忘れられる運命にあった作家だと思う。比較文学者がまた『旅愁』が好きなのだよねえ。くだらないものはくだらないのだ。
 『中公新書の森』で平川先生が芳賀先生の『大君の使節』をあげて、「読者は自分自身の留学体験と比べずにいられない」と書いていたが、比べません。幕末にフランスへ行った将軍の一族の体験となんか比べるわけがない。それにあれはパリだから比べるんで、北米へ行った人には江藤淳のほうがずっと比べたくなるし、漱石の留学体験なら、孤独で、貧しくて比べようもあるのだが・・・。実は私が候補にして落としたのが小堀先生の『イソップ寓話』で、講談社学術文庫に入っているし落としたのだが、比較文学の正統とはこのようなものだという実例です。 
 (小谷野敦