論文はしばしば不要に長い

http://skumbro.cocolog-nifty.com/edo/2007/06/post_03bc.html
 猫猫塾で「たけくらべ」をやっているので、こんなところに行き着いた。それで「初検査説」の上杉省和(よしかず)の論文を見返していて、不要に長いことにうんざりした。
 理系ではそうでもないのだろうが、文学系の論文では、実は言うべきことはごく簡単で、二ページで済んでしまうのを、それでは論文にならないからというので、それまでの説を整理するのはともかく、余計な感想を長々と述べて不要に長くしているものがかなり多い。論文長きがゆえに尊からずである。
 さて、近藤典彦が検査説を再提示したのが2005年、小林一也氏が上記の疑問を提示したのが2007年なのだが、平岡敏夫先生からのお葉書に、最近は検査説が有力なようです、とあって、まあもう80近いしネットなどご覧にならないのだろうと、十川信介先生に別件で電話して、平岡先生がこんなことを言ってますが、と言ったらええっ? と言われた。やっぱりこれは、菅聡子先生とか藪禎子先生(亡くなっていた)とか小平麻衣子先生とかにきっちり論じてもらうしかないか。(関礼子は佐伯さんを褒めたことを総括しないとダメ)

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日経新聞、やられたぜ。実際は煙草すぱすぱ吸いながらの写真撮影だったが、載ったのはたまたま口から放した時のもの。