ずっと前から、「立ちあげる」がおかしいのは自動詞と他動詞がくっついているからだという説があって、高島俊男先生が言ったのだが、自動詞と他動詞の複合動詞などほかにいくらもあるので、私は、「立つ」の主体と「上げる」の主体が違うからだと、これも昔書いたはずである。まあ昔といっても五年くらい前に過ぎないのだが、しかしどうも今なお、自動詞と他動詞だからという説があるが実際は…式の論が多い。阪大のO先生に教えられて、工藤力男という人の「『立ち上げる』非文の説」という論文を見てきたが、これも、「立ちあげる」を非とする点では同じなのだが、理由はもうちょっと複雑である。国立国語研究所でも、よく分からないみたいなことを言っているのでメールしたがまだ返事がない。
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図書館で見た4月25日の読売の一面で、山折哲雄が菊池寛の短編「ある抗議書」を、「恩讐の彼方に」と並べて紹介していた。私は実は恥ずかしながらその短編を知らなかったので、これはまったく山折に一本取られたぜ、と思ったものだ。
さて、ようやくその短編を、岩波文庫の古い『無名作家の日記』で読んだ。これは要するに仇討否定論の「恩讐の彼方に」と逆の主題を持つもので、ある男から司法大臣への手紙という形式をとっており、大正8年1月『中央公論』に「恩讐の彼方に」が載り、4月号に載ったもので、対をなすものである。
その男の姉と夫は、千葉町で強盗によって惨殺された。その衝撃から母は体を壊してしまうが、一年ほどしてようやく九件の強盗殺人を行った坂下鶴吉という犯人が捕えられ、死刑に処せられる。しかしそれからほどなく、『坂下鶴吉の告白』という書物が上梓され、鶴吉は獄中でキリスト教に改宗し、罪を懺悔して、慫慂として死刑になり、典獄らがみな感動したと書いてあったというのである。語り手は、そのことに対する怒りを表明しているのである。
私は「恩讐の彼方に」だけ読んで、菊池寛を仇討否定論者だと思い、『なぜ悪人を殺してはいけないのか』にも書いたが、こちらも知っていたらぜひ論じるべきものであった。さもなくとも、「恩讐の彼方に」ばかりが有名なのは、明らかに否定論に世間が傾いているからであって、新潮文庫でもそうだが、これは絶対に両作品あわせて収録されねばならないと思った。
山折はそこに力点を置いていなかったように思うが、語り手が怒っているのは、極悪人が改悛して平静な心で死んだことよりも、それを礼賛する書物が刊行されたことの方である。その当時、そういう書物なり手記なりがあったのかどうかまだ調べていないが、むしろ敗戦後になって、その類の書物が一時期流行したのは事実である。(書きかけ)