イヴ・コゾフスキー・セジウィック死去

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 そういえばセジウィック乳がんはもう十年越しのもので、それでDialogue on Love を書いて、それも持っていたのだった。

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江藤淳の対談集『もう一つの戦後史』で東久邇稔彦が「『東久邇日記』は、私が書いたんじゃないんです」と言っている。「ある人がいろんな話をききましてね、書いて、東久邇稔彦の名で出さしてくれないかっていうから、それはご随意になさいといったんです。なんとかいう人が書いたんです」。江藤は「ははあ・・・」と言っている。もう一つの『私の記録』もその人が書いたらしく、江藤は、では日付はその人が適当に書いたのかと訊くと、うちの執事やなんかに聞いてやったんですと言っている。史料価値が落ちた。
 これは1977年『現代』の連載だが、そのあと江藤が、里見とんとは同級生だろうと訊くと、東久邇は、そうだと言ってから「もう、亡くなってましょう?」と言い江藤が「いえ、里見さんはご健在です」と言っている。こっちの発言は一級史料だ。

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上坂冬子も死んだ。世間は上坂を「右翼」だとでも思っているようだが、上坂は『思想の科学』出身で、途中から「左翼」の偽善に腹を立てて移動したが、最近多い馬鹿右翼ではなかった。バランスはとろうとしていたし、君が代法制化の際に、「君」が天皇だと国会答弁があったから、法制化に反対だと言っていた。
 それはそうと、どうやら上坂は2001年に講談社の出版部と決裂したらしい。その年4月に講談社から李登輝の本を出して、10月には文春文庫から出している。以後、講談社から出した本も文春文庫にし、講談社からは一切出していない。