- 作者: 羽入辰郎
- 出版社/メーカー: ミネルヴァ書房
- 発売日: 2009/03/01
- メディア: 単行本
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後半で、麻原彰晃が馬鹿であるという話から、東大生は馬鹿だという話になる。むろんこれは「全称命題」ではないから、良いのだが、自分は東大へ入るのだという思い込みの強い者が東大へ入るのだ、とか、ちと怪しい。
もっとも、大賛成なのは、東大生は性格が悪いということ。そして、結論はすばらしい。
もしもあなたが、誰か特定の人物に対して、その人の好みから外れたことは出来ない、ましてやその人を裏切るなんてとても出来ない、と奇妙なまでに強く思っているとしたら、むしろその事態の方をおかしい、と疑ってかかった方が良い(・・・)
私があの人の好みともあの人の価値観とも全く一致していたあの状況の方が異常なのである。そして、そうした異常な状況をつくり出していたその人物こそが、悪である可能性は極めて高いのであり、つまり、一番裏切りにくいと思わせてきたその人物をこそ、私は裏切るべきなのである。(・・・)
大事なことは、ここで良心の咎めに負けてはならない、ということである。一度裏切ることを決めた以上、裏切り通すことが肝心である。さもなければあなたは抹殺されるであろう。
以下略するが、すばらしい文章である。内藤朝雄は、大人社会のいじめについて書くならば、羽入のこの著を絶対に読まなければならないだろう。
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最近、ずっと『スペクトルマン』を観ている。小学校三年生の時観ていたもので、ボックスで買ったからである。最初は『宇宙猿人ゴリ』のタイトルで、子供ごころにも、「ははあ、ウルトラマンとは違うということを見せたいのだな」と思ったが、主題歌はスペクトルマンだった。
ところが観始めて、最初の四回くらいがひどかった。人形アニメの怪獣が出てくるし、デザインは良くないしシナリオは不自然だ。もっとも、子供の頃も、最初のうちは変だ(特にラーが活躍する三回と四回)と思っていたことを思い出した。当時問題になっていた公害を怪獣化するというアイディアで、主役はだから「公害Gメン」の一員に加わる。
ところがそれから、怪獣の造型がよくなっていくのだが、三回目から高山良策が加わったからである。二回で一話形式だったから、ところどころ間延びする。それとこの番組、実は無断再放送をやっていて、ネズバートンの回二回分を、何の断りもなく間に入れて放送したのだ。
タイトルは、さすがに苦しくなったのか『宇宙猿人ゴリ対スペクトルマン』をへて『スペクトルマン』に落ち着いた。私は最初の主題歌とエンディングは覚えていたが、途中で変ったほうは、かすかにしか覚えていなかったが、二度目のエンディングで、子供の声で「憎い怪獣ぶっ殺せ」と歌っているのには驚いた。今ならありえない。
「モッグス」という怪獣がいたのだが、ひどい造型で、主役を張ることなく、その他大勢に混じって一度だけ出演したに止まった。さておかしいのは、当時「カバゴン」の仇名で有名だった教育評論家の阿部進が出演して、本当に「カバゴン」という怪獣になってしまうとか、途中で怪獣に名前をつけるのまで怠って「ガマ怪獣」とか「犬怪獣」とか、投げやりになっていたり、話のタネには困らないシリーズだ。あと公害Gメンは、公害ネタがあっという間に尽きて「怪獣Gメン」になるのはいいが、女性隊員だけ、何の口実もなしに三度変わった。二人目の親桜子がいちばんかわいかったが、子供の頃は気づかなかった。三人目など、ちゃんと紹介されて登場したのに僅か四回で姿を消している。
しかし今回見て気づいたのは、この番組の見どころの一つは、ゴリの手のアクションだということで、とにかくゴリは喋りながら盛んに手を動かす。これは誰が考えたのだろう。
あと収穫一つ、というのは、秋ごろ、私は熱を出して二階に寝かされ、『スペクトルマン』が観られずに悲しんだことがあった。あとになって母が、今日は敦の嫌いなカエルがたくさん出てきたから、観なくて良かった、と手紙を枕元に置いておいたように記憶するが、今回それが「ガマ怪獣」の回であることを確認し、1971年11月13日の土曜日に、私は熱を出して寝ていたことが分かったのである。ほれ、私の伝記執筆をしているウィキペディアンよ、伝記的事実がひとつ解明されたぞ。