『周五郎伝』つづき。
205p、実業之日本社文化出版局から同時に、山周の未刊行小説集が出たのを「符節を合わせたかのごとく」としているが「歩調を合わせた」か何かの間違い。 
209-10p、池谷信三郎の紹介が余分。いわんや、池谷の文章を引用してケチをつけているのは、山周と何の関係があるのか。
213p「共通するキーワード」言葉が変である。
またここで江藤淳が出てくるがこれも余計。さらに江藤の論が漱石論に「コペルニクス的転回をもたらした」とするのは大仰で、これ以前には『道草』が「帰ってきた」人間だというのも「コペルニクス的転回」だと書いている。ここがまた長い。第一に、漱石の兄嫁思慕説はすでに証拠不十分で破綻している。それを延々と紹介して、山周にも同じようなことがあったというのだから、まったくムダ。
222p「軟性下疳というのがどういう病気かわからないが」性病である。何をとぼけているのか。
223p 宮沢賢治が出てくるがこれも余計。 
228pから東日本震災のことが書かれている。妻きよえの郷里が亘理町だからだが、物欲しげであり、不要。
234pから戦前の大衆児童文学について、佐藤忠男の、山周と関係ない論考を引いての論。これも不要。著者自身の考えによって記述すべし。この著者は他人に寄りかかり過ぎる。
このあたり、山周の少年少女小説のあらすじ紹介が続くがこれは不要。
241p、木村久邇典は、太宰治の「走れメロス」が「道徳」の学校教科書に用いられているのに対して山周の作品は「国語」に当てられている、と書いているとあるが、昔はそうだったのか。唐突で分かりにくい。
244、252p、近藤富枝の著作列挙が重複。 
256p「曲軒」を「漱石」と結びつけているが牽強付会で不要。この著者は漱石だの太宰だの芥川だのを論じたがって困る。 
ついに挫折した。
http://1000ya.isis.ne.jp/0028.html
 『樅ノ木は残った』が正しい。「ノ」であって、これを間違えると山周のもぐりと言われる。「御政談」というのを、政治を描いた小説のことだとでも松岡は思っているらしい。