オタどんに教えてもらった里見とんの未発見戯曲「生きる」(『経済往来』1933年8月)を確認。『昭和文学年表』にも載っていなかっただす。これはちょうど「チャコ事件」の頃のもので、外山伊都子さんによると「ミコ」だったようだが、戯曲では若い女が三十も年上の実の叔父に恋してしまうが、まさか里見の恋の相手が有島暁子だったということではあるまい。
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『諸君!』が休刊になるだす。わしをパージする雑誌は休刊になるだす。(付記)しかし『諸君!』がこのところ面白くなくなっていたのは事実で、ひところはフェミニズム批判、親中派批判、護憲派批判などで盛り上がったものだが、今では相手方が駄目なのが分かってしまったから議論にならないし、本来であれば、天皇制をめぐって否定論者と議論させれば良かったのだが、それはやらなかった。
ところで「ゴー宣」にも登場したから明かすが、私はもともと佐藤優には何の関心もなく読んだこともなかったのだが、『世界』連載の最後「共和制になるとファシズムになる」を送ってくれたのは宮崎哲弥であった。佐藤も宮崎相手に論陣を張る度胸はないだろう…。
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峰原緑子の単行本未収録作品
「雨季」『文學界』82年4月
「川のなかの街」同、82年11月
「八月の、夜が揺れる」同、85年2月
「逆光」同、85年12月
最後の頃は大学も卒業していたはずだが、当時の文藝雑誌は執筆者紹介がまったくないので、その辺も不明である。
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『孤島の秘密』がけっこうYTで観られることが判明。私が好きだったケイコは、ジュリア・クリステヴァとアウンサン・スーチーに似ている。確かこれの放送が七月頃で、九月頃から竹下景子のファンになるはず。超美人が好きじゃなかったのはこの頃からか。
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「青田刈り」というのは、戦国時代の武将が敵方の青田を刈ってしまうことで、就職内定を早めるのは「青田買い」である。ところが俗語としての「青田刈り」があることが分かった。清水俊二の『映画字幕五十年』に出てくる。「アオタ」と片仮名で書いてあるが、関西の映画・演劇の用語で、無料入場券のことをアオタといい、松竹の白井松次郎が、劇場を回ってどの程度アオタがいるかを調べ、アオタの多い劇場の成績を下げたとある。つまり「アオタ刈り」である。無料入場券では実入りがないから青田だそうだ。
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さるところで、映画がサブカルチャーだと思っている人がいて驚いた。今どき、55歳以下で、映画を論じたことのない英文学者や国文学者のほうが少数派ではないかと思えるくらいだのに。世間は広いから、谷崎潤一郎をエロ作家だと思っている人はともかく、筒井康隆の代表作は「時をかける少女」だと思っている人とか、いるんだろうなあ。
これはどこかに書いたが、20年くらい前の四コママンガで、大学で薬師丸ひろ子が本を読んでいるのを見かけた二人の男子が、「きっと英文科だからO・ヘンリー全集とか読んでるんだろう」などと言うのだが、O・ヘンリーって通俗作家だという認識がこの漫画家にはなかったわけ。ホントはポール・オースターだって怪しいものだけれど。