吉原真里さんのぶっちゃばけ方

 吉原真里さんがすごいことになっている。『新潮45』に連載している「恋愛単語で知るアメリカ」五回目にいたって「ベッドの中のあれこれ」となり、「あの女の尺八はすごいぜ」「rimming(肛門のまわりを口で愛撫すること)」「snowballing(口に含んだ相手の精液をその相手に口移しすること)」など、卑猥語続出である。
 しかし、清水正二郎胡桃沢耕史)もこんな英語卑猥語の本は出していたし、鹿島茂だってセックスの正しい体位とか書いているし、やはりこの衝撃は、女性教授、しかもまだ40代、が書いているということから来るものだろう。しかし私はますます吉原さんに好感を抱いてしまったのであった。

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石井桃子の自伝的長編とされる『幻の朱い実』が、女同士の友情を描いたように見えて実は精神的レズビアン小説だということは言われている(鳴原あきら「幻のままの朱い実」『女性学年報』2002)。しかしその相手については、沼辺信一氏によるこれを見て初めて分かった。
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 このブログは、「前のページ」へ行くと翌日の日記になるので、当初とまどった。これで、「溝口秀樹」「化粧する女」とあるのが横光「計算した女」であることが分かった。が、沼辺氏のこの論考が活字になっていないらしいのは惜しいことだ。また鳴原のほうは、途中で、主人公が小説中では結婚しているが石井は生涯独身だったことに気付くというおかしな話で、どうもきちんと研究されていないようだ。
 ちょうど最新の『比較文学研究』は横光特集なのだが、こういうのは横光研究も主題の一つである中村和恵あたりに調べて欲しいところだ。
 (あっ、なんだまだ続きがあった。しかし…途中で続きが行方不明になった。しかしこれだけ音楽や舞台に造詣が深い(というか、プロ)が、「熊谷陣屋」を初めて観たりしていることに、改めてため息。いやバカにしているのではなくて、日本というのはそういうことが起きてしまう国なんだなあ。たとえば歌舞伎を研究している英国人がシェイクスピアを観たことがない、に匹敵することが)

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「ポプラ文庫」は昨年創刊されたポプラ社の文庫版だが、「ポプラ社文庫」は、それ以前からある児童向けの、文庫版より一回り大きいシリーズである。混同する人が多いようだ。

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http://d.hatena.ne.jp/jmiyaza/20090221/1235149430
宮崎先生からのお返事である。
 まあ特に論点なく、感想なのですが、私はいわゆる文化相対主義というものに与しないのです。普遍的価値はあると信じる口で、西洋18−19世紀の文学、音楽、美術は、やはり人類文化史上の至宝であり、近世日本におけるそれらは大したことはなく、しかし平安朝文藝は世界に誇るものだと考えます。たとえばアニメにしても、戦後日本ではディズニーに席捲されましたが、今では米国人が宮崎駿に熱狂したりしているわけで、その辺はわりあい「いいものはいい」で通ると思っています。
 もう会わなくなって大分たちますが、私は西部邁先生の影響が大きいかもしれません。「中庸」などと言うのも、西部先生の「平衡感覚」から来ているのかも。
 いやもちろん、中井久夫について書いておられるのを見て、書いたわけです。ただ私は詩というものがよく分かりません。高村光太郎が凄いことは分かりますが、漢詩とか「ルバイヤート」とかボドレールとか、詩には酒飲み詩が多く、酒を呑まない私にはどうも苦手です。