里見伝補遺

 『里見とん伝』はおかげさまで好評であります。中で、昭和25年ころ、文士たちが直木三十五の墓参をしたという記述があり、既にお良さんの具合が悪かったことから、25年は直木の十九回忌ではあるけれど疑問があると書きましたところ、「直木賞のすべて」作者さまより、植村寿満(礼の佛師寿満ですね)「亡夫直木の面影」(『オール読物』1952年10月)を教えていただき見たところ、昨年、その催しがあったとあって、どうも26年のことである可能性が高くなりました。ただ典拠となった福田蘭童の文によるとその日鎌倉で大山康晴木村義雄が対決しているとあり、しかし大山の記録を見ても、どうも該当するものがない。むろん木村との対局はあるのだが夏だったりする。私は将棋のことは知らないので、こんな大物同士が本戦以外にも対局するのかどうか知らない。

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私と妻の間では「高句麗広開土王碑」というのが一つの符牒になっている。高句麗広開土王碑は、碑文が日本軍によって改竄されたとかいう疑惑があって、その後そういうことはないと明らかになったようだが、高校生のころその話を聞いて、それならちゃんと調べればいいではないかと思ったものだ。つまりこのように、よく分からない、「じゃあ誰かに聞けば」「聞きにくい」式の、真相不明の(しかしもちろん隠すようなことではない)ことがあると、「高句麗広開土王碑的」と呼ばれるのである。

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ちょっと必要があって、『論座』2007年8月号を見ていたら、粕谷一希鈴木邦男によるインタビュー「天皇制は、筋を通した「論説」で主張すべきだった−「風流夢譚」事件をめぐって」が載っていた。もうこの、題名と論者を見ただけで、胡散臭いインタビューである。だって粕谷は、山口昌男が、天皇制を論じた原稿を出したというので編集長を辞任しているが、はっきり「自分でも山口さんに書き直しをお願いしただろう」と書いているんだからね(『中央公論社と私』)。前後矛盾。しかも「風流夢譚」について「明らかに名誉毀損」とか言っているが、基本的人権がない天皇、皇族に「明らかに名誉毀損」なんてことがあるわけがない。鈴木もそういうところの突っ込みが足りない。