田中純氏が、麻生建についての私の記述に異義を申し立てている。
http://news.before-and-afterimages.jp/C1884801429/E20081205110412/index.html
 学者といえば、ヨコタ村上孝之のごとく、逃げ回るのが普通だと思っていたので、率直に思うところを書かれたことには好感を覚える。
 しかし疑問なのは、田中氏が、私の元ネタであるところの羽入氏の著作を読まずにこういうことを書いていることである。これは、学者として、してはいけないことに近いのではないか?
 もし田中氏が、羽入氏の言が信用できないというのであれば、直接羽入氏とやりとりすればよろしい。ネット上の情報だけを見て、脊髄反射的にこういうことを書くのでは、匿名であれこれ言う者たちと変りはない。
 このことは、羽入著の「序」に書いてある。それによると麻生は、羽入のドイツ語が読めない、ひどい、と言い、羽入氏が、どこでしょうか、と尋ねると、ここだよ、と言ったのが、ヴェーバーの引用部分だった、とある。
 なおついでに言うと、羽入氏の周辺では、ドイツ科はあまりにひどいから抗議しようという話もあったという。
 なぜ信じるのか、も何もない。もし反論があるなら、羽生氏に直接すればいいだけのことだ。またここには、鍛冶哲郎氏が、羽入氏の卒論提出締め切り日の当日の深夜、一時間半にわたって、卒論を出すなという電話を掛けてきたとも書いてある。鍛治は今なお東大の現役教授であって、これは確認できるはずだ。
 なお羽入氏は、恒川という教授だけはいい先生だったと書いている。これは50歳くらいで東大を辞めて明治に移った恒川隆男先生で、羽入はそのことは知らないらしいが、田中氏がそこまで悲嘆に暮れるなら、恒川氏にも訊いてみればよい。いくら麻生が死んだからといって、当時周囲にいた人々がこれだけいるのに、私に矛先を向けてくるなどというのはまったくの筋違いである。
 なお「人でなし」というのはむろんジョークの類で、平川祐弘先生が言っていたことである。
 (小谷野敦
付記:しかし自分のことならいざ知らず、師匠のことでこれだけ熱くなれるというのが不思議だ。だいたい大学院では、かわいがられる学生と嫌われる学生がいることなど日常茶飯である。平川先生なんか、日本のことをやらない院生にはずいぶん圧力をかけていたが、今誰かが「平川にこんな目に遭わされた」と指弾しても、比較出身者で怒る人などいないだろう。

さらに付記:
http://www007.upp.so-net.ne.jp/minnanoie/hanagoyomi20.html
 なるほど、林道義氏がヴェーバー研究者だから娘さんがかわいがられた、というのは私の憶測である。
 しかし、人が死んでから批判するのは卑怯だというのは不思議な話で、では私たちは、過去の人物に対する批判は控えなければならないのか。福沢諭吉山縣有朋も批判してはいけないのか。夫人もまた、羽入著を読んでからこういうことは書かれるべきであろう。「事の真偽とは関係なく」とあるが、私は、真実であるか偽りであるかが最も重要なことだと考えており、真偽と関係なく暴くのがいけないことだなどとこれっぽっちも考えたことはない。もう一つ確認しておくが、羽入氏著には麻生のことを「現在・東大名誉教授」と書いてあり、そもそも麻生氏の訃報は新聞にも出なかったから、亡くなったことは羽入氏は知らなかったはずである。かくいう私自身、6月頃になって知ったのである。それに、しつこいようだが、羽入氏は鍛冶哲郎という、現在東大教授である人から、麻生と同じことを言われたと書いているのだから、羽入著を読むまで待てないほど焦るのであれば、鍛治氏に電話でもして、そういうことがあったかどうか、確認したらどうか。

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 『新潮』一月号に発表された島尾敏雄の未発表日記の解説を鈴木直子さんが書いていた。鈴木さんは、1993年に私が一回だけ上野千鶴子ゼミに出た時に来ていて、他の学生があまり発言しないので上野が怒った中、国文科の鈴木さんは活発に発言していて、この人はできるな、と思ったもので、「島尾敏雄は死んだから研究できるんです」などと冗談めかして言っていた。それから少したって本郷の図書館でばったり会って、西鶴の『男色大鑑』を読めば、男色とミソジニーが密接に結びついていることが分かるよ、などと言ったのを覚えている。以後会ったことはない。99年に島尾論で博士号をとったが、東大国文科が近代で博士号を出すのは珍しく、しかしそれからなかなか刊行されないので気にかかっていた。今は青短の准教授だ。

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 加藤周一氏が亡くなった。訃報が毎日新聞では一面ではなかったのがショック。朝日系の人だからだろうか。
 私は九条改正論者だが、平然と天皇の茶会へ行ったり紫綬褒章を貰ったりする「左翼」がいる中で、国家的名誉は拒否し抜いた木下順二、加藤といった人々は尊敬する。「富永仲基異聞」もいい戯曲だったんだがなあ。「脆弱」を「キジャク」と読んだとか呉智英さんが何度か攻撃していたが、人間ひとつくらい思い違いはあるよ。「夕陽妄語」は七月で最後だったのか。朝日とってないから知らなかったよ。