「深み」などない所に深みを見る病

 田中貴子さんは角田文衛のファンだなどと書いたが(『一冊の本』)、角田の「待賢門院璋子の月経周期」論を田中さんは批判していた(『歴史読本』2002年6月)。もっとも私の見るところ、この批判文の真の標的は山折哲雄である。『愛欲の精神史』は実にバカげた佐伯順子的本で、田中さんは共同通信配信の書評で、前半褒めつつ後半批判していたが、実は褒める気などさらさらないのである。
 その田中さんが以前、「深み」などないのに深みを見ようとする論者を批判していた。私も同感であって、「天皇制の深層」なんてものはないのである。他にも、日本の性文化の深層とか、女の深みとか、そういうものはたいがい怪しいのである。
 ただ一般の学者は、「深み」などない、とは言わずに、これ以上進むと泥沼になるからやめる、という言い方をする。
 『正論』一月号で東谷暁小林よしのりを批判しているのを見て、よしりんもつまらん「深み」へ踏み込んだな、と思った。まあ東谷−西部のつながりというのもあるのだろうが、ケルゼンなど放っておけば良かったのである。断っておくが私はケルゼンのことなど何も知らない。中島岳志に対して私が批判したのは、「パル判決を利用して大東亜戦争肯定論を主張する右派」というのが具体的に誰のことで、大東亜戦争肯定論とはどう定義されるのか、ということであり、よしりんが中島を批判したのは、パルが日本の憲法第九条を守れなどとどこで主張したか、ということである。
 それ以上の深みなど、ありはしないのである。
 ずるい論者はしばしば、負けそうになると話を「深み」へ持っていってごまかそうとする。西部ー中島がケルゼンなど持ち出したのはそのよい例で、よしりんはそれに引っ掛けられたのである。
 ここに、「論争文は一回分が長いと余計なことを言って足元を掬われる」という法則がある。中島への批判は、実は三行あれば足りる。丁寧に書いてもせいぜい原稿用紙十枚だ。しかし雑誌の文章は20−30枚と書かせるから、いきおい、余計なことまで書くことになる。これは学術論文でも同じで、5枚で言えることでも、それじゃ論文にならないからと引き伸ばすと変な論文になる。