言論を裏から手を回して弾圧する、といえば佐藤優だが、丸山眞男もそういうことをしたことが、羽入『学問とは何か』で分かる。
かつて梶山力が訳した「プロ倫」を、梶山が32歳で死んだあと、大塚久雄が手を入れて共訳で岩波文庫から出し、のちに大塚が梶山の名を削って単独で出した。安藤英治という成蹊大の教授がこれに怒り、梶山訳を再刊しようとしていた時、丸山からそれをやめるよう圧力がかかったという。安藤は丸山の弟弟子で、成蹊大への就職も丸山の世話になったそうで、成蹊大の政治学の女性教授から、丸山に会いに行こうと言われ、安藤が激しく動揺して羽入宅に電話してきたと書かれている。結局、羽入が懸命に励まして復刊されたというのが1994年のことで、羽入も書いているが、当時安藤は70過ぎである。いかに兄弟子とはいえ、70過ぎの教授に、何が怖いのであろうか。
『学問とは何か』は、主部分たる折原とその他大勢への反論の部分は、彼らの批判が支離滅裂であるところから、ある程度予測できるものであり、むしろエピソードとして挿入されるこういう話のほうが恐ろしく面白い。市野川の話もそうだが、今年死んだ麻生建とか、今も東大教授の鍛冶哲郎が、ドイツ科で羽入を大学院へ入れないために工作したという話など。
麻生は比較文学の出身だが、「健」ではなく「建」だというので「人でなし」と呼ばれていたことは、羽入も知らないだろう。若い頃の写真を見ると、いかにもハンサムだが、悪人面をしている。ドイツ科あたりでは、大学院へ入れる学生は前もって決められていて、羽入は入れるつもりもなかったのに、駒場では9月に行なわれる一次試験でいい点を取りすぎたので、卒論で圧力をかけて潰そうとした、というのである。ここに活写される麻生の電話でのチンピラ(羽入がそう書いている)のような口調は、読みごたえがある。麻生は碌にドイツ語もできなかった、とある。もっとも、羽入の卒論が既にヴェーバー批判だったため、麻生が嫌がったとも考えられる。
しかしその麻生を「恩師」と呼んでその死去を悼んでいる人もいる。
http://www007.upp.so-net.ne.jp/minnanoie/hanagoyomi17.html
田中純氏夫人にして林道義氏の娘である。羽入によれば、有力学者の子女は優遇されたというし、林はもともとヴェーバー学者だから、大事にされたのかもしれない。
もっとも、羽入も人間であるから、細かいところで自分に都合よく書いているところもある。たとえば折原は中沢新一人事に反対したことでも知られるが、それは折原が正しい。羽入は折原憎さのあまり、当時蓮實先生が、折原の誤読を指摘した、と書いているが、蓮實先生が指摘したのは杉本大一郎に対してであって、折原に対してではなかったはずである。『学問とは何か』と題されたこの本で、非学問である中沢新一を学問であるかのように羽入が書いたのは至極残念なことである。もし羽入が、中沢の『虹の理論』が学問であり、それへの批判が「誤読」だとするなら、中沢のどこがどう学問なのか、説明しなければなるまい。ここは羽入の勇み足であろう。
ブルデューの『ホモ・アカデミクス』に、アメリカから来た学生が、デリダやフーコーに学びたいと言った際、ブルデューが、彼らはフランスでは学者として認められていない(正確に言うと、大学院生指導の資格がない)と言い、学生は仰天した、とある。羽入は、「プロ倫」をいま博士論文として提出したら通らないのではないか、という話を記しているが、そういう「スターになってしまえば非学問でも学問になる」ということは「民俗学」や「現代思想」や「フェミニズム」ではままあることだ。たとえばエドワード・サイードは、博士論文であるコンラッド論以外は、単なる政治的アジテーションであり、ジュディス・バトラーの博士論文は、20世紀フランスにおけるヘーゲルの受容であり、『ジェンダー・トラブル』などとうてい学問とは言えないのだが、それでも引用できてしまう。まあ、竹村和子の『愛について』みたいな瞑想エッセイも、お茶大の博士論文なんだからね。教授はいいね。