誰が何と言おうと『逝きし世の面影』は愚書である

 図書館へ新聞を見に行ったら、読売、日経、東京の三紙が、渡辺京二の『黒船前夜』をとりあげていた。
 渡辺京二といえば、あの愚書『逝きし世の面影』で、これはそれに続く大著だという。私は『逝きし世…』がもろに「江戸幻想」本であり、史料の扱いも杜撰で中身は間違っていると論じ、論文の抜き刷りも渡辺に送ったが梨のつぶてである。これは『なぜ悪人を殺してはいけないのか』に収めた。
 しかしこの本を礼賛する人は跡を絶たない。読売は、三ページある書評欄の一頁目で、半分近くを使って黒岩比佐子、日経は田中優子、東京は平川祐弘である。『黒船前夜』について言えば、私は間宮林蔵伝も書いているからだいたい知っている個所だが、別に新史料はなく、ただ先行研究をまとめて叙述しただけの本である。田中の書評は、さすがに、普通に論じているだけ。平川は、『逝きし世…』に批判があることに触れつつ、そういう批判は科学的と称して実はイズムを背負っているものだなどとまたいい加減なことを書いている。本当にそう思うなら私の批判論文にきちんと反論すべきだろう。もっとも、『黒船前夜』については、盛り上がりに欠ける、とそっけない。
 さて、黒岩さんは闘病中である。しかし、そんなことで遠慮したら失礼だ。しかも冒頭から、『逝きし世…』は、歴史の横糸が魅力的だった、とある。いくら魅力的でも間違っていたらしょうがないのである。黒岩さんは、もっと厳正な歴史家だと思っていたので、失望した。
 誰が何といおうと、『逝きし世の面影』は愚書である。現代日本で最悪の愚書である。もし渡辺京二が文句があるなら、いつでも言ってくるがいい。俺は返事を待っているぞ。