民主党には投票しない

 小沢一郎が、禁煙推進議員連盟の会長である綿貫民輔と手を結ぶなら、私は民主党には投票しない。全国の喫煙者は手を携えて綿貫にNOを叩きつけてやろう。(なくなったらしい)

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『氷点』は1965年刊であるが、1979年に円地文子は『食卓のない家』を刊行し、連合赤軍リンチ殺人事件の犯人を出した家で、息子の罪に対して親は関係ないという立場を貫く父親を描いている。連合赤軍事件は黒古先生お得意の分野だが、一般的には、育てたのだから責任があると思われる父親においてそのような信念がありうるならば、ましていわんや娘においておや「汝の敵」などと言われる筋合いはないわけで、そういうことを黒古先生はお考えにならなかったのか、と疑問に思わざるを得ない。
 円地という作家を私はあまり好きではない。谷崎賞創設の際、選考委員なのに自分が欲しがって、しょうがないから三回目に円地を宥めるために授賞したが、武田泰淳は選評で、選考委員の受賞などあってはならないと厳しく批判した。その円地ですら、こうしたシアリアス(シリアス、などと書くとマークス博士に叱られそうだ)な問題を俎上に載せられるのに(黒古先生なら「訴状」と書くところだ)、「殺人犯の娘であったことが私の氷点」などとヒロインに言わせる三浦綾子は、実に低レベルな作家であったということになろう。むろん私は三浦が善良であったことは認める。矢嶋楫子を描いた『われ弱ければ』を学生に読ませたこともある。だが『氷点』が差別小説であることを今明らかにしなければ、殺人犯の家族はいわれない差別に苦しむことになるだけだろう。黒古先生が増補版ではっきりと『氷点』は残念ながら差別小説である、と書いてくれることを望むものである。

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辻惟雄岩佐又兵衛』(文春新書)読了。文春新書にしてはいい本だ。しかし、説経節を一貫して「説教節」としていたのが気になった。一ページに五回くらい出てきたから、辻先生ご存じないのかな。あと大橋新太郎を、博文館の創設者と書いていたが、創設者は父の佐平。だから『金色夜叉』の富山になるわけで。あ、あと湯女をソープ嬢にたとえているが、湯女風呂には垢をこする湯女と売春をする遊女と別個にいたはず。まあそれは次第に区別が曖昧になったということもあろう。東大の美術史は割とまともな学者を出す研究室だ。
 (小谷野敦