カリスマ中井久夫

 小倉千加子が『週刊朝日』に丸山ワクチンのことなど書いているから、一瞬小島千加子のような似た名前の医者かと思った。まあ小倉は医学博士なのだが…。で、丸山ワクチンはもう効果のない薬とされているけれど、中井久夫が、そうでもないことを書いているという話。
 丸山ワクチンのことはどうでもいいが、中井久夫という人はカリスマ的なところがあって、精神医学者だが人間への洞察に満ちた随筆を書き、果てはギリシャ誌の翻訳までやって文学賞を受賞する人だというので、崇拝者が多い。私も一時期、ちょっと崇拝しかけて、手紙を書いたことすらある。もちろん、お返事も来た。
 しかし何ごとであれ、カリスマ化、個人崇拝というのはいいことではない。特に中井の文章を読んでいると、要するにその臨床は職人藝みたいなもの、あるいは天賦の才能に幾いと思わせるものがあり、ということは科学ではない、ということになる。カリスマ的人物がいる分野というのは、それだけ科学から遠いということで、民俗学など特にそうだし、経済学でも、その嫌いはある。哲学はむろんそうだが、あれは科学とは違うものだ。ノースロップ・フライや中村幸彦、荒井献がいかに偉大であろうと、カリスマにはならない。
 ところで「精神分析などという非科学を教えるのはやめろ」と言っていた石浦章一先生は、とうとうトンデモ本の著者になってしまったようだ・…。
 ゆえあって、四半世紀前の朝日新聞を見ていたら、聖路加看護大学長の肩書で、日野原重明が「習慣病」というエッセイを書いていた。こいつが言い出したのだということは知っていたが、その下にあるのは、酒もタバコも好き放題(晩年まで)やって96で死んだ人の、藤枝静男(医師)による追悼文、右側には河野多恵子の文藝時評で、石原慎太郎の作を絶賛している。うーん、考えさせられる紙面だ。藤枝静男は、間違いをはっきり認める誠実な人だった。
 (小谷野敦