大江健三郎と蓮實重彦と金井美恵子

 講談社から刊行が始まる『大江健三郎全小説』を記念して、『群像』で蓮實重彦筒井康隆が対談したようだが、大江は『大江健三郎論』以来蓮實を嫌っているようで、大江と柄谷は対談しているが蓮實とはしていないのだから妙なものだ。いっぽう蓮實を今なお崇敬しているように見える糸圭秀実は筒井の宿敵である。
 『表層批評宣言』であったか、大江が雑誌を見ていて蓮實の名を見つけるとゴミ箱へ放り込むという文章を見た蓮實が、その放り込む動作が描く放物線の美しさをなどと人を食った文章で書いていて、私は若いころどこかでこれのまねをしたことがあるような気がするのだが、それは提出したレポートだったかもしれない。
 ところが金井美恵子の『カストロの尻』の最後のほうに、藤枝静男について書いた随筆があってその注(298p)に、藤枝が中村光夫に浜松で講演を頼んだら土地の文学青年が中村に愚劣な文学論を話しかけ続け、タクシーにまで乗り込み、食事の時も脇にいたから、とうとう中村が「目障りだッ、帰れ」と怒鳴り付け、青年が出した土産の菓子箱を蹴飛ばした、と藤枝が書いているのを引用した金井が、
「五十代半ばの批評家の『立ちあがって、いきなりその箱を蹴飛ばした』という若々しい野蛮な(傍点)動作と行為(…)を書き記しておきたかったのだ。菓子箱がまるでフットボールのように放物線を描いて、日本座敷の空間を飛ぶ映像を空想したくなるではないか」
 と書いているのを見て、私ははっと息をのみ、世上知られる金井美恵子蓮實重彦への眷恋の情が今も衰えていないのを感じたのであった。
小谷野敦