病弱な学問

 こないだどこかで「窃視の欲望」がどうとかいう論文を見て、げえまたかと思った。美術とか都市論とかジェンダー論とかで、この文字を見るだけで、まだやっているのかとうんざりする。十年一日の如しで、なんでこう誰も彼も同じことを言うのだろう。二言目には「パノプティコン」とか言い出す奴も昔はいたし、ある種の学問ってのは病弱で、すぐにこの「誰もが同じことを言う病」に罹るのだ。この手の論文を読んでも、単にああでもないこうでもないと言っているだけで「私は流行の窃視について論じています」という以上のことは何もないのだよね。
 そういう意味でいうと、ヨコタ村上の「女たらしで何が悪い。セクハラからたらしていくのが色男だ」と言ってはいないが実は言いたい本というのは、さすがに他人と同じことを言っていないという意味で斬新なのだが、それを正しく紹介している人が私しかいないということが問題だな。
 こないだ、梅原龍三郎の伝記とか研究書が一冊もないので驚いたのだが、そういうことをやってほしいよね。

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翻訳家の後藤安彦の訃報が流れて、喪主は妻、となっていたのでちょっと驚いた。なぜなら後藤は、推理作家・仁木悦子の夫だったからで、仁木は22年前に死んでいるからだ。再婚したのか・・・と思ったわけ。しかし仁木の著作権は後藤が継承していたから、もし後藤の現夫人がそれを引き継ぐと、ちょっとまずいだろう。