児童ポルノ規正法改悪に反対する

 死刑問題では毅然とした態度を表明したので評価していた鳩山邦夫法相が、児童ポルノを単純所持だけで処罰するなどというとんでもないことを言い出した。
 私は、AVやポルノでも、暴力的なもの、性的暴力を肯定するものに関しては、批判的立場をとるが、それでも、法的規制を一律にとることには反対である。
 あまつさえ、単なる少女ヌードのようなものまで禁じるのは、「児童ポルノ」の拡大解釈である。現に私は清岡純子の写真集をいくつか持っている。清岡の場合、当初ははっきりと藝術的目的で撮影していたのが、次第にロリコン向けになっていったという不幸な歴史を持っているが、それにしても、ただ裸であるというだけで「ポルノ」扱いするのが既におかしい。西洋では、「ポルノグラフィー」といえば、男女の交接をあからさまに写したもの、あるいは陰部を広げてみせる女の写真などをさす。西洋諸国から圧力がかかっているというが、日本ではそれらのものは大人でも依然として非合法である。
 奇妙なのは、では少女ヌードの被写体となった子が、成長後、精神的ダメージを受けたという調査があるのかどうか、分からないということで(もしあるなら教えてほしいのだが)、なるほど、少女ヌードが、そういう趣味の親たちによって半ば強要され、当人が後で心に傷を負ったというなら、今後それらの製造を禁ずるというのは分からんでもない。しかし、既に流通しているものまで法的処罰の対象にするというのは、意味が分からない。『野菊のような少女』を見て、少女への強姦行為に走る人間というのが、いったいそれほど数多くいるものだろうか。鳩山邦夫は、『野菊のような少女』を見たことがあるのか。性犯罪について言えば、法で規制しようと、するものはする、と言うべきで、売春防止法が成立した後で強姦が増えたことに鑑みて、先に売春の合法化を考えるべきだろう。
 まったく、これではピューリタン社会だ。禁煙ファシズムといい、米国のピューリタン的本質を全世界に押し付けようとするのはやめてほしいものだ。
 (小谷野敦