和田芳恵『暗い流れ』と私小説

 ちょうど大学院浪人をしていた頃、バルザックの『従姉ベット』を読み終えて、あまりのすばらしさに部屋の中をうろうろと歩き回ったものだが(ただしそれ以外のバルザックの小説で、ここまで感動したものはない)、和田芳恵の『暗い流れ』を読んで、久しぶりにその時以来のそういう状態になった。なぜこんなすごい作品が品切れになっていて、人はつまらない現代作家の小説なんぞ読んでいるのだろう、と思っているので、ほかの本が読めなくなっている。
 和田の19歳くらいまでを描いた自伝的小説だが、実にエロティックなのである。貧困や前近代的風土の中で、少年少女が性器をこすりあわせる遊びをしたり、女が主人公の子供をおぶって小便をさせ、そのことに快感を感じたり、陰毛が生えてきたのを商船学校の友達に見せたり、その友達が事故で死んでしまったあとで、その友達の母親が好きになって、それと察した母親が少年にセックスの手ほどきをしたり、数々のセクシャルなエピソードに彩られていて、生半可なポルノ小説よりもエロティックで淫靡である。
 閲歴自体は、年譜に書かれた和田の少年時代とまったく同じ、つまり私小説なのだが、佐伯一麦の解説によると、和田自身は、フィクションも混じっていると書いているそうだ。むろん小説だからフィクションもあるだろうが、それはさほど気にする必要はない。
 しばしば作家は、作品が私小説に見えるがフィクションだ、と言う。私は逆に、事実だと言う。しかし文学史的には、フィクションだと思っていたら事実だった、という例が多い。