浅薄な「死」観 

 『週刊ポスト』の井上ひさし家内紛の記事で「その死はあまりにも早すぎた」とあってげんなりした。75歳であるぞ。どこがあまりにも早すぎるのだ。死亡適齢期ではないか。それで早すぎるなら、中上健次伊藤計劃はどうなるのだ。
 「死者に鞭打つ」とか言っている人は、人は死んで四十九日間中有をさまよっているとか、あの世から見ているとか思っているのだろう。そんなものありやしない。それとも、残された遺族が、鞭打たれると気の毒だと言うのだろうか。では、孤独のうちに死んだ人なら鞭打ってもいいのか。
 世間の死観念はあまりに浅薄である。小渕恵三が死んだ時、瀬戸内寂聴は新聞のコメントで、平然と悪口を言ったが、さすが僧正だと思ったね。寂聴にはこういうところがあるから侮れないのだ。

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橋本治内田樹』に「禁煙ファシズム」の話があるが、内田が、千代田区で歩きたばこすると「罰金二千円でしたっけ」と言っているが、あれは罰金ではない。科料ではなく過料だから、払う義務がない。内田ジュあんまりもの考えてないな。むしろ橋本の「タバコやめた人って、なんか生命力なくなるんですよね」というのがいい。その典型が柄谷行人だ! 

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東大比較の後輩で陳岡めぐみという人がいて、面識はないのだが、美術をやっていて博士号をとったが、昨年それを本にしていたのを知らずにいた。なんでこういう情報は入らないのか。で、この人は結婚して陳岡になったのだが、これで「じんがおか」と読む。それで読みから逆に間違えて「陣岡」と書いてしまう人があとを絶たず悩んでいた、という。

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「文学部なんて一流大学にだけあればいい」って、『放談の王道』で呉智英さんが言って宮崎哲弥も賛同しているんだがね。
 今の日本で呉智英を読まない奴はまず「バカ」だと考えて間違いない。でそういう奴が『文学研究という不幸』を読んで仰天するわけ。で、石原慎太郎が都立大の文学部をつぶしたとか言うのだが、まああれは人文学部だが、つぶしたんじゃなくて名前を変えただけだし、文学部を別の名前にするなんて世界的な傾向で、クッツェーの『恥辱』にだってきっちり書いてあるのだが、「文学好き」のつもりの人がクッツェーを読んでいなかったりするのだ。ガルシア=マルケスなんぞよりクッツェーのほうが偉いんだけどね。

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昨日の一時五分から十五分くらいの間、永福町から明大前まで急行に乗ったら、両脚を開いてでーんと座っている三十代くらいの男あり。背広姿にスポーツ刈り、眼鏡に花粉よけ巨大マスク。こいつの脚のせいで左側の一人分空席が狭いのでわしが座ったらこいつ、微動だにしない。かつ「座るなよてめえ」的雰囲気がピシッと来たから、なんかきっかけがあったら喧嘩してやろうと思ったがきっかけがなかった。
 帰途の山手線には、明らかに1.5人分あるデブの西洋人が座っていておかげで半人分くらいが空いていた。こういう奴は1.5倍の運賃をとるべきだ。

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藝術的な少女ヌードはポルノではない、と言うと、必ず、線引きは誰がするんだ基準は何だなどといちゃもんをつける奴がいるものだが、冗談ではない。誰かが誰かを殴った際に、それを暴行罪で起訴するかどうかは、検事が決めるのであって、いくら罪刑法定主義だからといって、かくかくしかじか、傷跡何センチ全治何週までは不起訴とか法律に書いてあるわけではない。

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大河ドラマ篤姫』の功績の一つは、十四代将軍家茂の人間像を改めたことだ。それまで家茂は、英邁な慶喜を押しのけた「子供将軍」だと思われ、そう描かれていた。将軍になった時点で12歳、死んだのは20歳だから、実際は青年将軍なのに、大正時代の中村吉蔵の『井伊大老の死』では、12歳の時点で、まるで六歳か七歳の子供のように描かれていた。12歳といったら中学生にもなろうかという年齢で、紀州家で教育を受けた者がそんなであるはずはないのだ。
 私にしては珍しく徳川時代の見直しをすると、大名の長男などバカでも後を継げる、と思っている人も多いだろうが、まあ凡庸程度ならともかく、本格的に愚昧だったりすると廃嫡されたはずで、落語に出てくるような「バカ殿」というのは、明治以降に作られたイメージだろう。幕藩体制は、その程度には能力主義だったのだ。