駐輪取締と戦う会結成

 最近やらなくなったなーと思っていたら、今日は出ました、警告札付け隊。銀行の前に自転車を止めたら、蝿のようにたかってきた老人、中年、青年の三人組。俺は「おい、そういうものつけるのやめろ」と声を掛けた。いつものように。銀行の壁には「長時間の駐輪はご遠慮ください」と書いてある。俺はそれを指して、「これはどういうことだ。私はちょっと用を足すだけなのに、なんでそういうものを付けるんだ。長時間でなきゃいいと銀行だって言ってるだろう」。
 すると連中は「銀行さんが納得してないんだと思いますよ」と言う。当たり前である。「じゃあなんで自動車の不法駐車は放っておくんだ」「それは警察の管轄ですから」「またそうやって逃げる」「逃げてませんよ。それなら裁判でも何でも起こしてください」。ああ、暇になったら行政訴訟を起こしてやるよ。しかし、区の職員が区民に言う言葉かね。公僕じゃないのかお前ら、って今は公僕とは言わんのか。
 一日とか二日とか駐輪していたらその時点で取り締まればいいのであって、条例ではすぐに撤去してもいいなどというのは断然おかしいのである。
 そこでミクシィ内に「駐輪取締と戦う会」を作ったので、入会希望の方はどうぞ。
 ところで俺が、この手の職員とか駅員とか、弱い者をいじめているとか言う輩がいるが、区長だろうが小田急の社長だろうが、会うというなら喜んで会って抗議してやるよ。当たり前だ。だが区長や社長なんか、出てこないのが世の常識だろう。となりゃあ末端とか広報部に文句言うしかないだろう。戦争をする時に、末端の兵士を殺しちゃいかん、などと言うかね。大将はいつだって奥にいて、末端からどんどん退治していってようやく大将にたどり着くもんだろう。すめらみことは自らは、だ。ねえ与謝野さん。

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 ところで先月の毎日新聞文芸時評川村湊が、東浩紀と、桜坂なんとかいう知らない人との共作小説その他を論じたあとで、私の「童貞放浪記」もキャラクター小説で、しかし私小説的なのが気にかかる、って何だよこれは、言いがかりか。普通に読めば私小説だろうあれは。なんか川村先生の投げやりさを感じる。
 さて共作では芥川賞候補にならないだろうが、まあ単独作でもあれではならないだろう。最後の、朝日新聞書評委員虐殺の箇所は、筒井さんの『大いなる助走』とは、実名であるという点で違っている。また、「風流夢譚」について、たとえ皇族でなくとも実在の人物をああいうふうに描くのはどうか、という批判があったとして、それに対する格好の参照対象を提供している。  

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「百歳で存命」と書いた西村孝次、2004年6月に死去していたことが、さる英文学関係者の連絡により判明しました。しかしこれは、まったく報道されず、『英語青年』の訃報欄にも載らなかったというのだから、やむをえない。今回初公開かもしれないです。