われめちゃんの始まり

 北沢杏子という市民運動家が、1972年に出した性教育の絵本で「われめちゃん」という言葉を初めて使った。その後北沢が出した北欧旅行の記は『白夜のエロスたちーわれめちゃん北欧を行く』という。当時、北沢自身が「われめちゃん」とか「ミス・ワレメ」とか言われていたようだ。しかしこのタイトルだけ見たら、エロい本かと思われてしまう。
 北沢は反タバコ運動家でもある。しかし同時に、酒にも反対している。矯風会系ということか。反タバコでも、同時に反酒でもある人には、私はあまい。最低なのは、大酒呑みの禁煙ファシスト渡辺文学だ。そういえば渡辺秀樹ヨコタ村上孝之も、酒乱、あるいは酒癖の悪いタバコ嫌いだった。最低である。
 反タバコでも、同時に反自動車運動もしている人にも、私は少しあまい。最低なのは、外車を乗り回して悦に入っている上野千鶴子みたいなマッチョ女だ。
 実をいえば、反タバコ、反酒、反自動車、全部揃ってくれれば、私はもうその人に何も言うことはない。がんばってください、と言う。しかし、そういう人に出会ったことはない。中田ゆりに至っては、せっせと粉塵を調査している癖に、クルマが通ったあとの粉塵は調査しないのだ。
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 樋口一葉本がむやみと多い。無難だという、それだけのことだ。女だし、肖像画は美人だし、反政府的じゃないし、庶民の哀しみも描いているし、実に無難である。まあ、お札にもなったし。
 その点、佐伯さんの『一葉語録』は違った。国家主義的な、国士的な一葉を描き出している。長生きしていたら、日清、日露戦争で旗振りしそうな一葉。佐伯さん、けっこう、やるな。